いつものように早朝の国道を歩いていると、盛んに鼻を鳴らしながらイノシシが道路を横切っていくのが見えた。まだ昼間だというのに餌を探しに降りてきたらしい。
「……そういえばそろそろ秋か」
色づき始めた木々の葉を見上げて狗凪が独り言ちる。
意外なことに妖怪は季節の移ろいに疎い。雪女など一部の例外はあるものの大抵の妖怪は暑さ寒さに強く、人間ほど風情を感じることも無いため積極的に季節を意識することはない。
それは狗凪も例外ではなく、山の見回りをしていなければ雪が降って初めて慌てることになっただろう。里の長となった今でも昔の癖で山を歩いてしまうが、自然の変化を感じ取るには一番効果的だ。
ささやかな収穫に満足して狗凪は来た道を引き返し始める。
補装されていた国道のコンクリートは、夏の間に随分と草木に侵食されていた。まだ大規模な崖崩れは起こっていないが、こちらも気を付けておくに越したことはない……。
そんなことを考えながら歩いていた狗凪はふと顔を上げて、灰色の獣耳をそばだてた。
聞きなれない、ごろごろと何かが転がる音。小さい「……ホ……!」という奇妙な声。
「……なんだ?」
辺りを見回してもおかしなものは見当たらないが、音は更に近づいてくる。
見上げると道の反対側、斜面を覆うコンクリートの上からオレンジ色の球体が勢いよくこちらに向かって転がってきている。
球体はコンクリートの端で跳ねると、そのまま狗凪目がけて飛んできた。
「……ッホー!?」
「わぁああ!?」
思わず受け止めた球体は、パシーン!といういい音をたてて狗凪の両手に納まる。恐々顔を近づけると、オレンジ色の球体はスイカ玉サイズの南瓜だとわかった。
「ホ……」
南瓜は目と口らしき部分がくりぬかれていた。「ホ」という謎の声はこの口から発せられているらしい。
「なんだこりゃ……? とりあえず詳しそうな奴に聞いてみるか」
狗凪は一人で考えることを止め、不思議な南瓜を小脇に抱えると、里に向かって歩き始めた。
****
「なんだっけな? ジャックなんちゃらだろ」
「ジャック・オー・ランタンだよ……」
閃の適当な答えに呆れてツッコみつつ、桐寿は狗凪が連れて帰ってきた南瓜のお化けを覗き込む。
「え、というか狗凪よくジャック・オー・ランタンなんて知ってたね。確かにそういう季節だけど」
「いや、始めて聞いた。季節に関係するものなのか?」
とりあえず手近な場所ということで玄亥の屋敷に連れてこられた南瓜は、あれからうんともすんとも言わなくなっていた。しかしそれは単純に黙っただけのようで、目と思わしき穴から覗く灯火は先ほどから不安そうに揺れ動いている。
「確か、ハロウィンは秋の行事だったから。詳しいことはアレクに聞いた方が早いと思うよ。俺も外国のお化けってしか知らないし」
「そうだなぁ……外国のお化けがなんでこんな田舎に来てるのかもわからないしな」
「じゃ、呼んできてやるよ。その代わり後でハロパな!」
言うなり、いつもは怠惰な閃が素早くその場を去った。
「……ハロパって?」
「……さぁ……」
置き去りにされた狗凪と桐寿が互いに首を傾げあうが、答えは出ない。
やがて閃によって拉致同然に連れてこられた狼男のアレクは、南瓜を見るなり目を見開いた。
「驚いた……本当にジャック・オー・ランタンじゃないか。二人で作ったのかい?」
「いや、というか……転がってきたんです、これ」
「え? それは」
どういう意味、と言いかけたアレクに向かって、今まで沈黙していた南瓜が突然転がりながら突進していく。
「ホー!」
「わぁ!?」
先ほどの狗凪と同じように思わず抱えたアレクの手の中で、ジャック・オー・ランタンは目の中の灯火を涙のようにぽろぽろ零した。
「なんなんだ、この南瓜。いきなり転がったり泣いたり……」狗凪が薄気味悪そうに言う。
「……もしかしたらこの子も俺と同じで、日本に来たはいいものの帰れなくなったんじゃ……」
吸血鬼の従者として日本にやってきていたアレクは、人間の消失によって祖国に帰れなくなった自身の境遇を思い出してジャック・オー・ランタンを抱きしめた。
「もしそうなら、帰る方法を探してずっと山の中をさ迷っていたのかもしれない。人間社会に紛れ込むことだってできなかっただろうし」
「来るって、この体でどうやって?」
「もしくは連れてこられたか。日本でもハロウィンが盛んになり始めて久しいし、何かのグッズに紛れ込んでいた可能性はある」
「それは可哀想だけど……でも今からヨーロッパ? アメリカ? には帰れないだろうし……」
だってアレクが帰れないんだからと桐寿が言葉を濁すと、ジャック・オー・ランタンの目からより一層多くの火花が飛び散る。『ホ』以外喋れないようだが、くりぬかれた目と口が動くのでその表情を読み取ることができた。
「ホ……ホ……」
「そんな哀しそうな顔しないでよ……俺たちも何かできることがあったら手伝うからさ」
桐寿の提案に狗凪もアレクも頷いたが、閃だけはつまらなそうに唇を尖らせる。
「だから、さっきから言ってんだろ。ハロパしようぜ、ハロパ」
「いや、それ何か知らないんだけど」
「おいおい狗凪君さぁ、ハロウィンパーティーくらいは知っておこうぜ。お菓子が貰える祭りよ、祭り」
閃の情報を真に受けるほどお人よしではない。眉根に皺を寄せた狗凪が閃ではなくアレクの方を見遣ると、アレクはぽりぽりと人差し指で頬を掻いた。
「うーん……? 詳細はちょっと違うかもしれないけれど、大体合ってるかな。そもそもハロウィンは日本で言う所のお盆みたいなもので、あの世の魂が現世に戻ってくる日と言われているんだ。その日はお化けに仮装した子供たちが、近所の家々を回ってお菓子をねだる。お菓子をくれなきゃいたずらするぞ!と言ってね。そこで使われるのがこの南瓜の灯火、ジャック・オー・ランタンなんだ」
「なんだそりゃ。外国にはそんな祭りがあるのか」
どうやらこの不思議な南瓜は『はろうぃん』という祭りに使われる提灯のようなものらしい。閃の説明では少しもわからなかったが、『はろうぃんぱーてぃー』──略してはろぱ──とジャック・オー・ランタンの関係が朧気ながら理解できた。
「帰れないならせめて俺たちでその祭りをしてあげよう、ってことか。どう考えても遊びたいだけにしか聞こえないが、まぁやってみるか」
何分里は暇を持て余している連中ばかりなのだ。新しい祭りともなれば大騒ぎで準備しはじめるだろうと、長になって間もない狗凪でも容易に想像できる。
「さすが狗凪! じゃ、俺里の奴らに言ってくるわ!」
言うが早いか閃が屋敷を飛び出していくのを見届けて、狗凪はジャック・オー・ランタンに向き直った。
「……さて、じゃあ俺たちはお菓子の準備でも始めるか」
****
雑草が伸び放題になっていたはずのグラウンドに、木材を寄せ集めた手製の屋台がひとつ、またひとつと出来上がっていく。
小さな提灯をつけたもの、奇妙なお面を飾ったもの、木の実や葉で彩ったものと様々な形で乱立する屋台を見て桐寿が乾いた笑いを漏らした。
「あぁ、まぁ、閃の説明じゃこうなるよね……」
どこからどう見ても立派な盆踊りの会場になりつつあるグラウンドを、閃が所狭しと駆けまわっている。人間社会で『はろうぃんぱーてぃー』を学んでいるはずだが、積極的に勘違いしているのはなぜなのか。
「本場のものを真似するのは難しかったのかもしれない……いや、違うな。絶対。間違ってたほうが楽しいとかそういうくだらない理由だ」
狗凪が擁護案を即座に撤回する。その手に抱えられたジャック・オー・ランタンは不安そうに周囲を見渡した。
「ホ……? ホ……?」
「心配するな。皆、こういうことが好きなだけだ。まぁ想像しているものとはかけ離れているかもしれないが」
そもそも妖怪に確たる家≠フ概念がないというのも大きいかもしれない。家々を回って無いお菓子をねだるよりこうして寄り集まったほうが手っ取り早く、いつもは顔を出さない者も騒がしさに釣られて出てきやすい。そういう理由で二月に一度は祭りらしきものが開催されているような気がしたが、狗凪は見ぬ振りを続けていた。どうせ禁止したところで盛大に無視されるのがオチだ。
故郷のそれとはあまりに違うハロウィンにおろおろしているジャック・オー・ランタンを抱えながらグラウンドを回っていると、文乃がこちらに手を振りながら駆け寄ってきた。
「やっと会えました! 探していたんですよ」
十二単から割烹着に着替え、ご丁寧に手ぬぐい頭巾まで被っている文乃は白い長髪がなければどこかの農作業する女性にしか見えない。ジャージと言い、彼女の服装は動きやすさが基準になりつつあるらしい。
文乃は狗凪が持っているジャック・オー・ランタンを興味津々な様子で覗き込んだ。
「まぁ、これが……南瓜のお化けですか?」
「そうです。じゃっくおーらんたん……とかなんとか言うそうで、はろうぃんというお祭りにお菓子を要求するそうなんですよ」
「他の者から聞きました。そういうことならば私《わたくし》もお手伝いしようと思って、作って参りました!」
満面の笑みで取り出したのは重箱だ。
蓋を開けるとぎっしりとおはぎが詰まっていて、狗凪は思わず頬を引き攣らせた。
「……ホ!?」
見たこともないあんこの塊に、ジャック・オー・ランタンはますます混乱しているようだ。はろうぃんを知らない狗凪ですら、これが南瓜の求めるお菓子でないことはなんとなく想像できる。
だが固まる二人の前に、文乃は重箱をずいっと差し出した。
「たくさん作ったのでよかったら食べていってくださいね。大急ぎで作ったのでもしかしたら大きさが不ぞろいかもしれませんが……」
そう勧められて断るわけにもいかず、おはぎをつまむ。せっかくだからとジャック・オー・ランタンにも分けてやると、口をもぐもぐ動かした後に目を見開いた。
「ホ……ホゥ!」
ジャック・オー・ランタンの悲しそうに下げられていた目と口がぱっと笑顔の形に変わる。予想外に美味しかったらしく、先ほどの不安そうな顔から一転して上機嫌に火花をまき散らし始めた。
「お口にあったみたいでよかった。久しぶりに作ったのですけど」
「いや、本当においしかったですよ。こいつも気に入ったみたいですし」
「……見知らぬ土地に迷い込んでしまって不安でしょう。こんなことしか出来ませんが、何か困ったことがあったら頼ってくださいね。それに、他の皆さんも優しい方ばかりですから」
文乃が撫でると、ジャック・オー・ランタン嬉しそうに目を閉じる。こうしてみると子犬か猫みたいな南瓜だなと考えていると、どこかに行っていた桐寿が大量の紙袋を抱えてやってくるのが見えた。
「おーい、くなー。あ、文乃さんこんにちは」
「あら、お久しぶりです」
「どこ行ってたんだ。というか、その袋は?」
「屋台作りに駆り出されてたんだよ。この袋はそのお礼のお菓子詰め合わせ。一緒に食べようと思って」
何をどうしたら人間の滅びた世界でこれほど大量のお菓子が手に入るのか不思議で仕方なかったが、現実として紙袋は甘い匂いを漂わせている。まだまだ自分の知らない妖怪の秘密があるのかもしれないと狗凪は無理やり自分を納得させた。
桐寿は紙袋の中からチョコレートが入った銀紙を取り出すと、ジャック・オー・ランタンに向けて差し出しながら言った。
「トリック・オア・トリートだっけ? それは貰うほうが言うんだっけ?」
「なんの言葉なんだ? それ」
「アレクが言ってた『お菓子をくれなきゃいたずらするぞ』って意味らしいよ。そう言いながら家を回るのが本当なんだって」
「ホ! ホウ!」
ジャック・オー・ランタンが飛び跳ねて頷く。
「まぁ。では私もお菓子をあげる時はそう唱えながら渡しますね」
また妙なものが流行りそうだという予感がしつつも、狗凪はおはぎの入った重箱を大事そうに抱える文乃に何も言わなかった。郷に入っては郷の方針で行くばかりだ。
その時どこからともなく閃が現れ、桐寿の肩に馴れ馴れしく腕を回した。口の周りに焼き菓子らしい食べカスをつけている。
「おっ、それもうまそうじゃん。ところでさぁ、こんなところで駄弁ってないで俺様渾身の祭り会場を回ってくれよ〜」
「今から行く予定だ。というか、お前は本場のはろうぃんがどういうものか知ってるだろ。こいつの反応を見る限り、どうも本物とはかけ離れているみたいだが?」
そう言って狗凪が掲げるジャック・オー・ランタンに向かって、閃は気障ったらしいウィンクをしてみせた。
「おいおい……わかってねぇなぁ。こういうのは新しく創造していくもんなんだよ。人間がやってたハロウィンなんて古い古い! せっかく本物のジャック・オー・ランタンまでいるんだ、俺たちがニューノーマルってことでいいじゃねぇか」
「相変わらずもっともらしい無茶苦茶を言うな、お前」
呆れかえる狗凪に親指を立てて得意げな閃の頭を、突如巨大な手ががしっと掴んだ。不意を突かれて固まる閃の耳元に玄亥がドスの効いた声で囁く。
「ほー……するってぇとこの馬鹿騒ぎもお前の仕業だな。馬鹿が馬鹿騒ぎするのは慣れてるが、ちょっと派手にやりすぎたなぁ? え?」
顔は笑っているものの全身から怒りが滲み出ている玄亥に向かって、閃は冷や汗まみれの弁明を試みる。
「いやこれはほら、新しい仲間の歓迎会っていうか、退屈な毎日のちょっとした変化っていうか? そう怒ることでもないかなって」
「そりゃあまことに結構なことだけどな、先月もどんちゃん騒ぎした上に谷のほうまで聞こえるくらい煩いときた。いい加減にしねえかって言ってるんだよ、俺は」
ぎりぎりと指に力が加えられると、さすがの閃も青ざめながら喚きだす。
「狗凪、お前も何黙って見過ごしてんだ。ちゃんとこいつら見張ってろ……ところでなんでお前は南瓜なんて抱えてんだ?」
ジャック・オー・ランタンを、そしてこの『新しいはろうぃん』とやらを玄亥にどう説明した者か。
狗凪は納まる気配のない大騒ぎを前に、盛大なため息をついた。
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