「いいや。どっちの選択肢も取るつもりは無い」
 これ以上ないほどにきっぱりと、狗凪は宣言した。
 その場に居た者全員が、狗凪の言葉の意味を取りかねて沈黙する。

 「……と、言うと? 何の話し合いも行わず、また争いもしないと?」
 「そうだ。アンタは俺にかかっていると言ったな」
 狗凪は軽く息を吸い込んだ。次に何を言うべきかわかっているとはいえ、その責務の重さを考えると、わずかに怯む。
 だが、逃げたところでどうにもならないのだ。
 
 「この土地の妖怪の長〝代理〟として言う。アンタ達を長に合わせるつもりは無い。帰ってくれ」

 さすがの烏月も虚を突かれたのか、数度瞬きしただけで何も言わなかった。
 閃が小さく口笛を吹く。楽しくて仕方無いという表情が、背を向けている狗凪にも容易く想像できた。
 「……その言葉に、」と烏月がしばらくの後に口を開く。
 「我々が従う、という保証はあるのか?」
 「無い。……アンタ達は最初からここを襲うつもりだったんだろう? だから偵察隊というより尖兵を放ってきたし、あれだけの武力を用意してきたんだ」
 狗凪は、空中の不気味に渦巻く黒い翼を見上げた。
 「だけど同時に、アンタ達はこちらの里の実情をあまり知らない。俺たちとも接触が無かった。争うとなれば、その『よくわからない妖怪たち』に戦いを仕掛けることになるんだが……烏天狗の頭領殿は、戦いによほど自信があると見える」
 自分に対し一歩も引かず、平然と言い切る狗凪を、烏月は物珍しげに眺めた。感嘆の声こそなかったものの、目の前の狗賓がただの雑用係ではないと思い始めているようだった。
 「面白い。この里を襲った場合、我ら烏天狗が負けると言いたいのだな」
 「そうは言っていない。俺達が滅ぼされる可能性のほうが高い。ただ、その時にどれだけの烏天狗が生き残っているのか、俺にはわからない。合わせて言うと、ここの連中はどんな状況でもアンタ達の言いなりにはならないだろう。例え最後の一匹になっても、助けを乞うより烏天狗を道連れにするほうを選ぶ」
 烏月は顔色ひとつ変えずに言い切った狗凪を、しげしげと見つめた。瞳の冷たさは少しも揺らがなかったが、何かを思案しているようだった。 
 狗凪もまた、烏月から視線を外さない。二匹の妖怪は睨み合うというより、互いの腹を探りあっていた。
 
 先に沈黙を破ったのは、烏月のほうだった。
 
 「……実に幼稚なハッタリだな。そのような遊びに付き合っている暇などない」
 狗凪の発言を戯言だと切り捨て、烏月が短く息を吐く。ぴり、と空気が張り詰めた。
 「どうしても長と会わせぬと言うのなら、こちらも少々手荒な真似をせざるを得ない」
 「それなら試してみるといい。俺達は逃げも隠れもしない。だけど数を減らした一族が、どういう末路を辿るのか……アンタが一番良く知ってるだろう?」
 狗凪を守るように、閃とアレクが前へと進み出る。閃を見て、周囲の烏天狗たちがわずかに怯んだ。
 「おい狗凪、ぐちゃぐちゃ言ってねぇでさっさと始めようぜ! ストレス溜まってたからよォ……まずはそこのヘボカラス五匹から焼いてくか!!」
 凶悪な笑みを浮かべる閃に、烏天狗たちは上擦った声で次々にまくし立てた。
 「う、烏月様! あやつは雷獣です!」
 「凶暴極まりない……! 我らを愚弄し、烏月様に楯突くとは!」
 「あの黒い獣に変ずる男も同罪だ! 許しては置けぬ!」
 言われて、アレクはとぼけた様子で肩を竦めた。
 「ふむ……好みとしては鴨や七面鳥のほうが良いのだが。まぁ、たまには鴉というのも悪くはないかもしれないな」
 爽やかな表情で言い切るアレクに、烏天狗たちが顔色を失くす。閃はケラケラと笑いながら空を指差した。
 「そうだなー、今デカい雷を落としたら、鴉のローストが山程降ってくるぜ? 試してみるか?」
 パチパチと放電する音が、どこからともなく聞こえてくる。
 同時に、烏月の口から小さな舌打ちが漏れた。 
 「チッ! 読み損なったか。俺もヤキが回ったもんだ」
 わずかに砕けた口調に狗凪が眉をひそめる。
 「……と、言うと?」
 「そちらと話し合いの場が持てないのなら、ここで戦う意味も無いということだ……お前の言うとおり、むざむざ戦力を減らすこともあるまい」
 狗凪は驚いた表情をしないように努めながら、そうか、と相槌を打った。
 「お前ら、撤退するぞ」
 「そ、そんな! ここまで来て、何もせずに帰るのですか!?」
 烏天狗の一匹が、悲壮な声で烏月に縋る。だが、烏月は部下をめつけ、冷たい声色で言った。
 「聞こえなかったか? 何度も同じ事を言わせるな」
 「わ、わかりました……」
 烏天狗達が黒い翼を広げ、同胞の待つ空へと舞い上がっていく。あれほど多く旋回していた烏天狗の群れは、何かを伝え聞いたのか、ゆっくりと北の方へと移動していった。
 「おい。お前は確か狗凪と呼ばれていたな」
 自身も巨大な翼を広げつつ、烏月が問うた。狗凪が頷くと、烏月は心の底まで冷める瞳を細めた。
 「……代理殿には、次に我々が来る時までに、話し合いの場を用意しておいて欲しいものだ。此度は急なことで、『準備』が整わなかった故」
 「もちろん。その時はこちらも十分に『歓迎』する」
 狗凪は、今日何度目かの逃げ出したい衝動を堪えながら答えた。
 烏月は小さく鼻を鳴らし、翼を広げた。その姿が小さくなり、やがて黄昏はじめた夏の空へと消え去ると、狗凪は限界まで息を吐いた。

 「……疲れた……」
 思わずよろけてしゃがみ込む狗凪に、桐寿が泣きながら飛びつく。涙でぐしゃぐしゃになりながら、桐寿は狗凪の髪をもみくちゃにした。
 「うわー!! くなー!! 良かった……! 俺、もうダメだって、殺されるんだって思って……!」
 「あぁ、俺もだよ……今も窒息するんじゃないかとちょっと思ってるけど……」
 「おい桐寿、誰のせいでこんな楽しい事になってると思ってんだよ?」
 閃が桐寿の襟首を掴み、狗凪から引き剥がす。その瞬間元気が無くなり、桐寿はしょんぼりと項垂れた。
 「う、ごめん……。そうだよな、俺が変に突っかかったりしたから……」
 「いや、桐寿があそこで時間を稼いでくれてなかったら、俺達は烏天狗の存在に気づかなかったかもしれない。烏天狗は奇襲が得意だから」
 「奇襲って、こんな昼間から? 彼らの体色なら、夜闇に紛れたほうがいいんじゃないか?」
 アレクが首を傾げる。
 「どうなんだろう。俺がこの近くでうろうろしてたら、いきなり呼び止められたんだ。なんか凄く態度が悪くてさ。頭にきたからこっちも適当に返事してたら……」
 「殴られたってぇ? 怖いものなしだな、お前!……しっかし、そのバカ天狗がいなけりゃ、実際ヤバかったかもな」
 突然声のトーンを落とし、真顔で言う閃に、狗凪は頷いた。
 「あぁ。あいつらは俺達に会った時点で、奇襲攻撃なんてできなくなった。それまで噂程度にしか烏天狗の存在を知らなかったから、あの数で突然襲われたら間違いなく奇襲は成功していただろう」
 「え? 閃がいても?」
 「あの数でバラバラに来られたら、いくら俺でも大変だわ。さすがに空までは飛べないもんでね」
 「それにしても、彼らは何故あそこまで焦っていたんだろうな? 得意の戦法まで捨ててこちらを襲ってくるとは、あのウヅキとか言う頭領は何を考えているんだ?」
 アレクの問いに、一同は首をひねるばかりだった。狗凪は頭を横に振った。
 「とにかく、長に知らせないと。今後の対策を早急に練る必要がある」
 その途端、閃は里の妖怪たちが揃って『極悪』と評する笑顔を狗凪に向けた。閃がこういう表情の時、ろくなことを考えていないというのは、長い付き合いの中で嫌というほど知っている。狗凪は犬の耳を横に倒し、表情を強張らせた。
 「な、なんだ、その邪悪な笑みは……」
 「ケーケッケッケ……いやぁ、里の長〝代理〟かぁ、と思ってなァ……」
 うぐ、と半歩下がった狗凪である。
 あの時、咄嗟にとは言え、勝手に代理を名乗るなどという不遜を口走ったことは、狗凪にとって重大な問題だった。
 「……頼む。長には黙っておいてもらえないか……」
 「ケッケッケ! いやぁ、俺はかまわないよ? かまわないけどな? それ言わないで、どうやってさっきの出来事説明すんの?」
 完膚なきまでの正論に、狗凪は再び言葉を詰まらせる。桐寿が頬を膨らませて抗議した。
 「もう! なんで閃はそう意地悪なんだよ!」
 「いや、閃の言うとおりだ。俺が勝手に名乗ったんだから、素直に長に謝ろう……」
 「そんな! だ、大丈夫だよ! 俺はちゃんとフォローするから!」
 「うんうん。正直は美徳だね。日本人の鑑だ」
 「日本人どころか人類が全滅したっつの……オラ、とっとと行くぞ! 玄亥に報告だ!」

 恐ろしく機嫌の良い閃と、げっそり項垂れて歩く狗凪。おろおろとする桐寿。
 アレクはそれらの後ろ姿を眺めながら、小さく肩を竦めた。


*****************


 
 長の館にて、見慣れた間に通された狗凪は、玄亥を前にして背筋を伸ばした。早速閃が後ろであくびを噛み殺す気配がしたが、それを注意する気はなかった。
 現れた玄亥は、どこか険しい顔で一同の前に座った。
 「おう、なんだなんだ。雁首揃えて、真面目くさった顔しやがって」
 「長。重要な話があります」
 「ん? ひょっとして文乃のことか?」
 「……? どうしてその名前が今出てくるんですか?」
 お互いに首をひねっているところを見ると、玄亥のほうでも何か話があるようだ。しかしとりあえず、狗凪は先程起きた烏天狗の襲撃の話をした。
 桐寿も交えて事細かに説明すると、玄亥はいつものように腕を組み、難しい顔をして唸った。
 「まぁ、正直予想してなかったわけじゃねぇ。むしろどこの里もほとんど動きが無いってのが不気味ではあったが……そうか。カラスねぇ」
 何か一心に考え込んでいる玄亥に、狗凪は意を決して口を開いた。
 「……長。他にも話しておきたいことが……」
 「うん? なんだ」
 「不本意ながら……奴らとの会話で、自分がこの里の長の代理だと、騙りました。非常時とは言え、申し訳ありません」
 深々と頭を下げる狗凪に、ぽかんとした顔の玄亥。狗凪の後ろでは、桐寿が必死に手を顔の前で振り、「違います!」とジェスチャーしている。
 「は……なんでぇ、そんなことか。もっと大変なことかと思った」
 その間、ずっとニヤニヤしていた閃の思惑とは裏腹に、玄亥の言葉はあっさりしたものだった。顔を上げた狗凪は、狐につままれたような表情をして玄亥を見つめた。
 「いや、こっちにも別の問題があってだな……これは直に説明してもらったほうがいいだろうな。おい、悪いが呼んできてくれ」
 端で控えていた狐面の、少年とも青年ともつかない妖かしが、静かに出て行く。しばらくすると、廊下を歩く小さな衣擦れの音が聞こえてきた。
 現れたのは、白と銀の入り混じった、ため息が出るほど美しく長い髪。純白の十二単の女性に、狗凪は見覚えがあった。蛇の妖かしである文乃だ。
 「どうして彼女がここに……」
 呆然と呟く狗凪に、玄亥がぼりぼりと頬を掻いた。
 「昨日、文乃がこの館を尋ねてきたんだ。驚いたぜ。狗凪が行っても動こうとしなかったんだからな」
 「先日は、失礼をば致しました」
 文乃が頭を下げると、狗凪は慌ててそれを阻止した。
 「や、止めてください! それより、何故急に来られたんです? 何か、問題でも」
 「直接的な問題はありません。が、近い将来必ず問題となる出来事を知ったものですから」
 物腰は相変わらず優雅だったが、文乃の声はどこか硬い。それは不安からくるものだと狗凪は気づいていた。
 「皆様にもお伝えしなければなりませんね……私の父、この土地を守護する山神のことでこちらに参ったのです」
 文乃は軽く息を吐くと、伏目がちに語り始めた。

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