屋台や櫓は見るも無残な姿になっていた。急激に降った雨が校庭にあった建物を壊し、一部は川にまで流されたようだ。
閃が調節した機器も雨に濡れて、壊れてしまった。
だが、妖かしにとって大した問題では無い。むしろ酒が流されてしまったことのほうが、よほど重大な問題だった。
それでも校庭を去る妖かしはおらず、二日後、しびれを切らした玄亥が
「てめぇら、いい加減野にでも山にでも帰りやがれ!!! 」
と校庭から叩き出すまで、妖かしたちの祭りは続く始末だった。
大雨は、町の風景を変えてしまっていた。
山の木々は、葉を覆っていた灰のような粉がすっかり流れ落ち、緑と呼ぶにふさわしい色を取り戻していた。毎日見ていたせいで気が付かなかったが、相当くすんだ色をしていたらしい。
大雨を集めた川は、凄まじい勢いで海へと流れ込み、一帯を灰色の海へと変えた。だがそれも数日後には落ち着き、元の色に戻った。
雨はその後も断続的に降り続いた。
建設中だった建物のいくつかは、土台から壊れてしまった。コンクリートの道沿いに雨が降ったせいで、道が川のようになったらしい。短時間の雨がここまで被害を出すとは思わず、狗凪は町の様子に目を見張った。
しかし肝心の妖かしたちは、まるで気にしていなかった。
『壊れたら直せばいい』という単純な考えで、黙々と修復作業を行っている。修復を手伝う妖かしの中には、鬼や狐の姿も混じっていた。
それだけではない。修復に勤しむ妖かしの中に、烏天狗の姿があるとの報告が上がってきたのだ。
祭りの大騒ぎが終わって、一週間ほど経っていた。
他所の里へ視察に出た妖かしの報告書を取り落として、狗凪はあんぐりと口を開ける。
「烏天狗がなんだってここに」
さぁね、と言わんばかりに肩を竦めて、閃は無花果を頬張った。
がらんとした役場の一階が、狗凪の仕事場になりつつあった。町の中心にある為、情報が集まりやすいのだ。
『総合窓口』と書かれた受付の奥で、狗凪は眉を顰めた。
「何か良からぬことをたくらんでるんじゃないだろうな」
「知らね。そろそろアレクが誰か捕まえてくるだろうし、そいつに直接聞けば早いんじゃね? 」
「捕まえてくるって……」
唖然として、思わず腰を浮かせる。
烏天狗の一族の長である烏月が、里を襲いかけた事件は記憶に新しい。あの時はハッタリでどうにかなったが、もしまた同じようなことがあればどうなるかわからない。
これ以上烏天狗たちとの間を拗らせたくない、というのが狗凪の本音だ。
だからこそ『烏天狗を捕まえる』等と言う厄介事を阻止したかったのだが、全ては遅すぎた。
狗凪が役場を飛び出ると、丁度道の向こうから、アレクと項垂れた烏天狗がやってくるところだった。
あぁ遅かった、と思わず額に手を当てて嘆く。
沈痛な面持ちの狗凪とは対象的に、アレクは朗らかに笑って手を振った。
「おーい、連れてきたよ」
「ご苦労、ご苦労! 」
無花果を食べ終わった閃が、狗凪の後ろで手を振り返す。むすっとした顔の烏天狗は、閃の姿を見るなり逃げ出そうとしたが、アレクが襟元を掴むと萎れたようにおとなしくなった。
「あぁ、逃げないほうがいい。もっと酷いことになるから」
アレクは朗らかに恐ろしいことを言う。歳若い烏天狗は怯えたように頷いた。
「わ、わかった。わかったから」
こうなってしまってはどうしようもないと、狗凪は半ば諦めの境地で烏天狗と共に役場に戻る。
受付奥の事務椅子に座るよう勧めると、烏天狗は所在無さそうにもぞもぞと身体を動かした。
「俺の名前は八宵。なぁ、俺はまだ作業が残ってるんだ。あんまり乱暴なことはしないでくれよ」
「作業と言うと? 」
「そりゃ……この里作りの手伝いのことさ。以津真天の家がまだ出来てない」
「ちょっと待て。なんで烏天狗の一族のお前が、里作りを手伝ってるんだ? 」
対面に座った狗凪が聞くと、烏天狗は焦れた様子で外に視線を送った。
「……烏月様のご命令だ。俺たちのような下っ端は、もれなく他所の里に行き、そこに馴染めとさ。烏月様は、この里がこれから重要になると睨んでいた。だから俺たちに、アンタの里で暮らすよう仰られた。あそこには山神の加護があるから安全だ、とね」
狗凪は眉根を寄せ、椅子の背にもたれかかった。
「彼が? にわかには信じられないが……」
狗凪が長になる前、烏月はこの里に攻め入った。その烏天狗の長が、部下を里に寄越したのには、何か別の理由があるに違いない……。
狗凪の懸念を、閃は一言で言ってのける。
「つまり、密偵ってワケだな! 」
爽やかな笑みの下に隠された獰猛な気配に、八宵は今度こそ悲鳴を上げた。
「ひいぃっ!? ち、違う!! 信じてくれないのも無理はないだろうが、本当だ!」
「だったらなんでここに烏月って奴がいねーんだよ。あ? おかしいだろ?」
表情こそ笑顔だが、閃の言葉には凄みがあった。狗凪は泣きそうな顔の八宵に向かって苦笑いを返した。
「閃の言うことにも一理ある。どうしてそちらの長はここにいないんだ?」
「……烏月様は一度、この里を襲撃した。来れるわけないだろう」
八宵は狗凪から視線を外し、それが答えだ、と呟いた。
アレクが腕を組み、天を仰いで言う。
「ということはつまり、烏天狗の長は、敵対する里に行くよう部下に指示して、自分は別のところにいるってことかい?」
「あぁ、概ねその通り……詳しく言うなら、俺たちの里を立て直している。お一人でな」
「一人で? どうして?」
八宵は狗凪達の顔を順に眺めた後、俯いた。
しばらくして、意を決したように顔をあげると、八宵は意気込んで語り始めた。
「アンタたちに言っても信じてもらえないと思うが、とにかく聞いてくれ。俺たちは今まで他所の妖かしから里を奪ってきた。それが普通だと教えられてきたからだ。先代の長もそうだったが、烏月様はその考えに異を唱え始めた。他所の里を襲っても土地が衰えるばかりで、我々の益にはならない、とね」
狗凪は口を開けて八宵を見つめた。
「……彼が? 」
「そうさ。俺も最初は戸惑ったし、その考えについていけなくて一族を離れた仲間もいた。なんせ他所の里を奪うのが烏天狗だったからな。でも烏月様は、本来烏天狗は穏やかな気性であり、争いごとに向いてないと言うんだ。そう言われてみると俺たちは戦いに疲れているような気がした。他の妖かしのように、のんびりと暮らしてみたいと思ったんだ」
生まれた時から略奪する妖かしとして組織されてきた烏天狗たちは、烏月の言葉に、初めて自分たちの望みを知ったのだと、八宵は言った。
「今までは何の疑問も抱かなかったが、気づいてしまえば後は早い。俺たちはどんな妖かしもいない小さな土地を、里と定めた。そこで理想の里作りをし始めたのさ」
八宵は狗凪の顔色を窺うように言葉を切った。
「……今更、何を言ってるんだと思ってるだろう? 散々他の里を襲撃しておいて、今度は争いに疲れたなんて、自分で言うのも何だが恐ろしく勝手な話だよな」
自虐的な言葉に、狗凪は唸った。
個人的な恨みはあれど、直接的な怒りには結びついていかない。それより、烏月の考えに興味が湧いた。
「勝手な話かどうかは、全部聞いてから判断しよう」狗凪の言葉に、八宵は驚きながら頷いた。
「アンタがそう言うなら。兎に角、烏月様は烏天狗達の里を作り始めた。丁度その頃、人間が滅亡した。俺たちにとっちゃ渡りに船みたいなもので、人間たちの土地がまるまる手に入ったんだ。だけど……結局、うまくいかなかった。この町ほど、俺たちの土地は恵まれてなかったのさ」
八宵が俯く。他の烏天狗と同じように鴉の嘴を模した面をつけている為、表情まではわからないが、言葉には悔しさが滲んでいた。
「アンタ達は外の町を見たか? 人間がいなくなった町は、全部燃えるか廃墟になっちまった。まともな土地を奪い合って滅んだ妖かし共もいる。そのまともな土地だって、俺が覚えている限り、ここ以外には残っていない。なぁ、アンタ達はこの町がどれだけ山神に護られてたかわかるか? 一年も雨が降らないなんて異常だと思わなかったか? 雨が降らなくてもなんとかなっていたのが、不思議じゃなかったか? ……俺たちは作りかけた里を泣く泣く棄てた。周りの草木に、あの灰みたいな妙な病気が出だした頃から、土地の力が消えていったんだ。丁度同じ時期に、皆がおかしくなり始めた。ちょっとしたことで小競り合いになったり、喧嘩になったり。烏月様も何かを焦っていらっしゃるようだった」
「それで、こちらの土地を奪いに来たと?」
言葉を挟んだアレクに対して、八宵は再び項垂れた。
「奪う気があったのかどうか。ただ俺たちは自棄を起こしていた。それがあの灰によるものなのか、やっと作り上げた里から離れざるを得なかった悔しさによるものなのか、結局わからなかったけれど……でも、烏月様はこの里を襲わなくて良かったと何度も仰っていた。俺は間違った対応をしてしまった、とも。だから俺たちに、この里の力になるよう命じられたんだ」
「……その話を信じられると思うかい?」
「信じる、信じないはアンタ達に任せるよ。俺はこのことをずっと伝えようと思っていたんだ」
勇気が無くて中々言い出せなかったけど、と八宵が口ごもる。狗凪は長い息を吐いた。
言われてみれば、烏天狗達の襲撃は奇妙だった。普段なら暗闇に乗じて奇襲を仕掛ける烏天狗達が白昼堂々行動していたのも、八宵の説明なら合点がいく。恐らく烏月の態度や行動も、それまでのものからかけ離れていたのだろう。
「これで俺の言いたいことは全部言った。都合が良いのは承知しているが、どうか烏月様のことを誤解しないで欲しい。本当に俺たちのことを……というか、俺たちのことしか考えてないようなお方なんだ」
深々と頭を下げた八宵の肩が、わずかに震えている。不意に狗凪は、この烏天狗が恐怖に慄いていることを悟った。
当然と言えば当然だ。なにせ烏天狗はこの里を一度襲撃しかけている。未遂に終わったとは言え、敵とみなされていても仕方が無いのだ。しかし、八宵はどこに逃げるでもなく狗凪の前へと現れ、更に長である烏月の弁護まで行った。恐らく死をも覚悟しているに違いない。
「……彼は余程、信頼されていると見える」
いっそ羨ましいほどの求心力だ。狗凪は額に手を当てて、苦々しい笑いを浮かべた。
「それでどうするよ、若頭」
先程から黙って聞いていた閃が、間延びした声で問う。烏天狗の事情など知ったことではないという態度だった。
「どうするもこうするも。向こうに争う気が無いのなら、俺たちも騒ぎ立てる必要は無い」
「それでいいのかよ? このバカ真面目な烏天狗君が、俺たちの内情をべらべら喋っちまうかもしれねーぜ?」
「だから、密偵じゃないって!」
八宵が必死に首を横に振る。狗凪はわざと難しい表情をした。
「言葉でならいくらでも言える。疑念を晴らして欲しかったら、やっぱり態度で示してもらわないと」
「ぐ、具体的には?」
「そうだな……とりあえず、以津真天の家を作ってもらおうか」
重々しい口調から一転、晴れやかな笑みを浮かべる狗凪に、八宵は狐につままれたように唖然とした。
「俺は願ったり叶ったりだけど……いいのか?」
「自分たちをこの里に置いてくれと頼んできたのはそっちじゃないか」
「それはそうだが……」
「それに正直に言うと、他所の土地の情報が足りていない。なにせこちらは出来たばかりの小さな里だ。俺たちに協力してくれるのなら、多少の禍根は水に流そう」
破格の条件のように聞こえるが、逆を言えば、八宵に協力する以外の選択肢は一切無い。にこやかに言う狗凪に、閃はぼそっと「悪魔め」と呟いた。
八宵は狗凪の条件も予想していたのだろう。狗凪の言う〝協力〟の内容によっては、烏月が不利になる可能性もあった。しかしそこまで見越した上で、八宵は青ざめながらも答えた。
「もちろん。俺にできることならなんでもする」
「それはよかった。できたら他の仲間にも伝えておいて欲しい。もしもこの里にやって来るのなら歓迎する。悪いようにはしないと」
若い烏天狗は、狗凪の目をじっと見つめて、力強く頷いた。
Book Top あやかしのくに 目次 back next