低い振動音と、機械的な合成音に導かれて、一樹(いつき)はまどろんでいた。
 窓の外にはただ暗闇が広がるばかり。薄暗くなった機内に、暖色のナイトライトがわずかに灯っている。そんな静かな空間でも、一樹の耳朶の奥では未だに彼の声がこだまし続けていた。


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 「どうしてなんですか!」
 一樹の怒声などわかりきっていたように、上司の須藤が目を閉じる。神経質で気難しい上司も、この時ばかりは一樹の怒りを甘受していた。
 「確かに被害は甚大です。ですが、それで我々がなぜ地球に戻らなければならないんです! そもそも、彼らはどうなるんですか? まさか……」
 「四百年だ」
 須藤はゆっくりとメガネを取り、机に置いた。声は低く沈み、聞き取れないほど小さい。
 「四百年。我々は故郷である地球を離れ、この星を開拓してきた。私の曽祖父も、祖父も、父も、この星で生まれ、仕事をしてきた……誰だって同じだ。だが、地球の歴史はその何倍もある」
 呆然とする一樹をまっすぐ見据えて、須藤は気の毒そうに言った。
 「地球の決定は絶対だ。感情では、どうすることもできない」


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 作業区では、いつものように女性たちが畑仕事に精を出している。側では子どもたちが遊び、その近くで犬が昼寝をしていた。
 遠くから一樹の姿を見つけた子どもたちは、一斉に駆け寄ってきて騒ぎ立てた。
 「いつきお兄ちゃん、お仕事終わったの? 今から遊ぼうよ!」
 「なぁなぁ、今度畑の中で追いかけっこしようぜ!」
 「こら! 一樹様、すみません、子どもたちが」
 母親である女性が頭を下げる。一樹は苦笑して首を横に振った。
 「いいんだ。それより睦月(むつき)は? 姿が見えないけれど」
 「俺ならここだよ」
 物陰からひょっこり顔を覗かせた睦月は、泥だらけの顔をシャツで拭いながら言った。
 「それで、どうだって。上の反応は」
 一樹は何も言うことができなかった。俯き、唇を噛みしめる。睦月は一樹とまったく同じ顔で、まったく違う晴れやかな表情をしていた。
 「そっかぁ。ダメだったか」
 「地球からの決定だ。『テラフォーミングにおける労働用クローンは、全て廃棄すること』……」
 「廃棄はきっついなぁ」
 何故か恐ろしいほど朗らかに、睦月は笑った。
 側では母親や子供が心配そうに、しかしどこか諦めたように一樹を見つめている。一樹は大声で叫びだしたいのをぐっと堪えた。
 「やっぱり、一ヶ月前の事故が原因だったのか?」
 「あぁ。地球はその報告で、この星にはもう価値がないと気づいた。厳密に言えば、犠牲を出してまで鉱石採掘をする価値が無いと判断したんだ」
 「まぁそうなるよな」
 悟ったような睦月に、一樹は苛立つ。
 どうしてそこまで冷静になれる? 『クローンの廃棄』……すなわちこの何もない惑星に、睦月たちを取り残して引き上げることになるのだ。
 一樹は同じ顔の睦月に向かって、すまない、と謝罪を口にした。
 「俺の力不足だ。お前たちを生み出した時、俺は研究者としてできるだけのことをすると誓った。それなのに……」
 「いいさ。俺たちはそういう風に作られた。人類にとっての調節された死アポトーシスも、予定の内なんだ」
 わかりきっていたはずなのに、いざその時がくると動揺してしまった一樹とは違い、一樹のクローンである睦月は静かに微笑むだけった。
 


***********



 クローンは、かつてこの惑星を開発する際、労働不足を補うために造られた存在だった。
 クローン技術は、地球の人々にとっては禁忌だったが、過酷な宇宙空間の開発事業においては黙殺されていた。ただしモデルは一樹たち研究者自身であり、その作成の証拠となる書類等は一切廃棄されていた。

 惑星には、開発に必要な施設を取り囲むように作業区が存在している。鉱石の採掘は更に外、坑道区と呼ばれる谷の奥で行われ、一度出発すると三ヶ月は帰ることができない過酷なものだった。
 一ヶ月前、その坑道で事故が発生した。
 そもそも、ここでの鉱石量が極端に少なくなり始めたのがきっかけだった。採掘ではなく調査の為に、オリジナルとクローンで構成された調査隊が谷へと出発した。そして、古い坑道で大規模な崩落が起こった。
 決定は素早かった。地球にいる者にとって、資源も鉱石もあらかた取りつくしてしまった星のことなど、昨日の夕飯よりどうでもいいことだったに違いない。
『惑星開発に従事しているオリジナルの研究者及び従業員は、直ちに帰還すること』
 こうしてたった数日で、クローンたちの廃棄が決定した。
 

******



 睦月は一樹を連れて、湖がよく見える展望台へと足を運んだ。
 妙に青みがかった太陽が、うっすらと光を投げかけている。大気のガスは分厚く、それらの光を不気味に反射させていた。
 「凄いよな。ここ全部、人間の手で作られたなんて」
 人間が来る前はどんな場所だったんだろうな。睦月はどこまでも無邪気にはしゃぐ。一樹は複雑な気持ちでベンチに腰掛けた。
 「人間は、あらゆる場所を自分たちの手でつくりあげたいんだ……なぁ、睦月。俺はもう一度上に掛けあってみる。やっぱりこんなのは間違っていると思う。どうして人間の為に働いてきたお前を置いて、俺達だけ地球に帰らなきゃならないんだ」
 「それが仕事だからさ、一樹の」
 きっぱりと、しかし何の迷いも無く睦月が言い切る。一樹は一瞬絶句した。
 「……クローンに感情移入した俺が間違っているっていうのか。お前はそんな運命を受け入れるっていうのか」
 おいおい、と睦月が振り返る。その目は少し怒りを湛えていた。
 「運命なんて言葉は、結果につくあだ名みたいなもんだ。未来にも過去にも運命なんて無い。だけど……そうだな、一つだけ言えることがある」
 呆然とする一樹に向かって、睦月ははにかみながら答えた。

 「俺達を、俺を創ってくれてありがとう。俺はあんたに会えてよかったよ、一樹」




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 無音にも近い船内で、一樹はぼんやりと考え続ける。
 これが果たして人類にとっての最上なんだろうか。利益は感情を殺しながら膨れ上がり、末端の些末な出来事は『無かったこと』にされる。しかしそんなことが許されるのだろうか? 人間は細胞ではないと言うのに。
 結局、一樹にはどうすることもできなかった。睦月に手を伸ばし、何と言えばよかったのか。
 届きそうで届かなかった手を握りしめ、一樹は目を瞑った。
 生命維持の為の機器は、あらかた惑星から撤収した。擬似とは言え緑豊かだったあの湖周辺も、すぐに人間がくる前の荒涼とした姿となるだろう。そして、置いてきたクローン達も。
 一樹は流れ出る涙も拭わず、やがて死にゆくであろう惑星に、睦月に、想いを馳せ続けた。

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