「この土地は、古くより山神が守護するところでした。目には見えない、我々妖かしにすら容易には知ることのできない力……古来の土着神は、そのような存在でした。実際、わたくしは父と呼んでおりますが、この土地からけんげんした者は全て山神の子だと思っております」
 「つまり、我々妖怪も、神から生まれたと……?」
 「はい。妖かしだけではありません。種が芽吹き、命が生まれるその全てに力が存在します。その力の源が神だとすれば、土地も植物も動物も、人間すらも神の子だと申し上げねばなりません」
 「それほどまでとは……」
 規模の大きな話に目を白黒させる一同を見渡し、文乃が続ける。
 「『龍脈』というものをご存知でしょうか? わかりやすく言うと、土地のツボのようなものです。山神は、自身が龍脈で出来ているのです。そして……」
 文乃は言葉を切り、何かをためらうように沈黙し、やがて決心したように唇を開いた。
 「そして今、龍脈は動きを止めかけています。ここだけでは無く、この日本という土地全体で、龍脈の活動が弱まっているのです。それはつまり、土地の力を失う、ということです」
 酷く深刻そうな表情の文乃とは逆に、若い妖かしたちは不思議そうな表情を浮かべている。桐寿がおずおずと質問した。
 「あのー……それでつまり、どうなるんですかね」
 「この里の周りを見てりゃ、想像がつくだろうが。土地の力がなくなるってのは、草木が倒れ、空が狂うってことだよ」
 玄亥が文乃に変わって、やや乱雑な説明を行う。あまりにも簡素な説明に、一同の頭の上には再びクエスチョンマークがつき始めた。
 「いや、つってもよぉ。草木はどうもなってねーし、天気も毎日晴天じゃねーか」
 閃が疑問をぶつけると、文乃が悲しげな表情で首を横に振った。
 「それはこの土地が山神に護られていたから。しかしその力が弱まり始めたので、ここから山を二つほど行ったところの草木はすでに枯れ始め、天気もご承知の通り晴天のみ……つまり雨は一滴も降っておりません。他所の里から報が遅れたのも、土地が荒れ果てたのが原因ではないかと思います」
 「そんな……」
 事は思った以上に深刻な様子だった。文乃がこちらへ赴いた理由も、玄亥が難しい顔をしていたのも、全て説明がつく。ふと思い当たることがあり、狗凪は呟くように言った。
 「ひょっとして、烏天狗たちは……」
 「あぁ、たぶん俺も同じことを考えていた。北のカラスの総大将は、自分とこの土地が予想以上に荒れ始めたんで焦ってたんじゃねぇのか? ひょっとしたら、故郷を捨てて来たのかもしれねぇ」
 奪った土地神の力を使い、勢力を拡大してきた烏天狗たちにとって、今回の騒動は予想以上の打撃となったに違いない。ただの天候ではなく、龍脈の乱れによって起こる異変は、烏天狗だけでなく全ての妖かしにとって前例の無いものだった。
 「だから奇襲もせず、この里を襲ったのか」
 アレクが意味ありげに頷くと、閃も小さく唸った。
 「あー……なるほどな。ここも今はまだ護られてっけど、これからどうなるかわかんねーから逃げたのか。奪っても枯れるなら意味ねぇもんな」
 「そうかもしれません。この土地はしばらく緑を保つでしょう。けれどそう長くは持ちません。そうなれば、我々とて烏天狗たちと同じ運命を辿ります」
 一同の中に、重苦しい沈黙が流れる。遠くでかすかにひぐらしが鳴いているようだったが、その声はあまりにもか細かった。
 
 「……何か、方法は無いんですか?」
 しばらくの後、狗凪が絞りだすように聞いた。
 「今までは起こったことが無いのなら、起こらなかった理由があるはずです。山神の娘のあなたなら、何か知ってるんじゃないですか?」
 「申し訳ありません。私も全てを知っているわけではないのです。ただ、此度の異変が人類の滅亡後から始まったとすると、一つ考えられることがあります」
 また人間か、と閃がつまらなそうに呟くのを狗凪は背中で聞いた。しかし言われてみると確かに、全ての異変は人間の消失によって引き起こされている。
 妖かしが化かす相手を失っただけでは無い。人間を失ったことで、世界そのものが変質している……狗凪が身を引き締めると、文乃はゆっくりと告げた。
 「人間が残していった街は、龍脈の通り道上にあります。そして龍脈は土地そのものに通っています。つまり人間が街にいた頃、龍脈は絶えず霊的にも物質的にも刺激を受けていました」
 「物質的な刺激……とは?」
 「もちろん、〝踏むこと〟です」
 文乃があまりにも真顔で言うので、一瞬静まり返った場は微妙な空気に包まれた。笑っていいのか、それとも同じように真面目に切り返せばいいのかわからない。
 だが、当の本人は至って真剣に続けた。
 「あなた方とて、神事としての相撲はご存知でしょう? そこで踏まれる〝〟のようなものです。もっとも、あれは穢れを踏み鎮める儀式ですが、同時に──」
 「あの、ちょ、ちょっと待ってもらえますか?」
 たまらず狗凪が手を挙げ、眉間をさする。文乃の真面目くさった表情を見る限り、どうやら冗談では無く言っているようだ。
 文乃は、「どうしました?」と首を傾げた。
 「質問、というか……本気で言っているんですか? 人間が、その、四股を踏んでいた、とは……」
 ぐふっ、と押し殺した笑い声は閃のものか。振り返らなくても、肩を震わせている姿が想像できた。こういう時真っ先に怒鳴りつけるはずの玄亥ですら何も言わず、唇を一文字に結び、こみ上げる笑いに耐えているようだった。
 文乃だけが、いきなり笑い始めた面々を不思議そうに見渡している。
 「いいえ。人間はただあの街で生活していただけです。日本の都市のほとんどが龍脈の上に存在していますが、恐らくは誰かが意識的に作り上げていったものでしょう。人が住み、二本の足で立って歩く。それだけで、龍脈は活性化しますから」
 そこで再び文乃は顔を曇らせる。
 「……しかし、予期せぬことが起こりました」
 「人間の滅亡、ですか」
 「そう。よもや人間が滅ぶとは……しかしこうなった以上、我々の手でなんとか龍脈の力を取り戻し、活性化させなければなりません。このままでは土地がやせ細り、我々の存続すら危うくなってしまう」
 『気』から生まれる妖怪にとって、『気』を生み出す土地は重要なものだった。だからこそ、時として他の妖怪と争ってでも良い土地を奪おうとする。その土地が枯れてしまえば、妖怪は座して死──本当の消滅を待つだけだ。
 「でも……そんなこと言ったって、俺たちどうすればいいんですか?」
 桐寿が困ったように言う。文乃は小さく頷き、玄亥に視線を送った。
 「私も、策を練る為に玄亥様をお尋ねしたのです。それで……続きは玄亥様から語って貰えますか?」
 応、と玄亥が低くこたえる。ややあって、玄亥はその場にいた者達を見回しながら語った。

 「実のところ、俺も文乃から初めてこの話を聞いた時、突拍子もないと思ってたんだが……だってそうだろ。人間がそんな重要なモンを担ってただなんて、考えたことも無かった。馬鹿馬鹿しいにも程がある。……だが、周囲を見張ってる狐やら鳥共の話と、文乃の突拍子もない話が、綺麗に一致するんだよ、これが」
 疲れを滲ませて、玄亥がため息をつく。狗凪は心底同情した。
 「それで、だ。文乃の話だと、あの街に〝人間の代わり〟になるような奴がいればいいらしい。そりゃ妖怪でも代用できるんじゃねぇか? と俺は思ったんだ」
 「代用……。俺達が、ですか?」
 「ああ。だけどもちろん一匹や二匹じゃだめだ。結構な数の妖怪どもが必要になる。そうだな。ざっとこの里の妖怪半分くらいってところか」
 狗凪が驚いて文乃を見ると、文乃も小さく頷いていた。どうやらそれが街の龍脈を活性化させる最小数らしい。
 そんな数の妖怪を、人間の街に住まわせて大丈夫なのだろうか?
 狗凪の不安を感じ取ったのか、玄亥が重々しく切り出した。

 「この里の半分の妖かしとなりゃ、里の存続は難しい。それで相談なんだが、狗凪。お前、新しい長になれ」

 「…………はい? 」

 玄亥の唐突さ、強引さには慣れている狗凪でも、さすがに耳を疑う発言だった。
 「すみません、今なんと……」
 「あぁ、あぁ。わかってる。俺もそういう感じだったからな。最初同じことを言われた時、ぬらりひょんの奴に『何言ってんだ、コイツ?』って思ったもんだ」
 「いや、そんなことはどうでもいいんですが。今、なんとおっしゃいました?」
 「だから、お前が新しい長に──」
 「無理です」
 これ以上ないほどきっぱりと言い切った狗凪に、玄亥は眉を顰めた。
 「無理って……」
 「無理なものは無理です。俺が長? さっきの話と何の関係が? 今の里はどうなるんです。そもそも誰が賛同するんですか。こんな時期に長の交代だなんて、皆も不安になるでしょう。大体俺は他所から来た流れの妖怪です。そんな奴が長になるだなんて、俺だけじゃなくて、この里全体が他の妖かしの笑い者になるかもしれない」
 反論を一切許さない多弁さに、しん、と周囲が静まり返った。
 普段無口な部類に入る狗凪が、これほど饒舌に語ったこともない。玄亥の発言は狗凪にとって、それほど晴天の霹靂だった──直前の、文乃の説がどうでもよくなるほどに。
 黙っていた玄亥が、ゆっくりと顎をさすった。困ったと言わんばかりに呻き、虚空を見上げている。
 と、玄亥の隣にいた文乃が、小さく咳払いした。
 「こほん……あの、私《わたくし》はそこまで悪いお話ではないと思うのですが……」
 この静まり返った空気の中で発言するのには勇気が必要だったのか、頬が僅かに赤くなっている。
 狗凪は首を横に振った。
 「それは、文乃様が実情をよくわかってないからですよ。俺のような半端者が長になどと……」
 「いやぁ、俺も別におかしくはないと思うけど……」
 思わず振り返ると、桐寿が小さく縮こまりながらチラチラ狗凪に視線を送っている。隣ではアレクが大きく頷いていた。
 目眩を覚えて、狗凪は閃を見た。反対する者がいれば、玄亥も少しは思い直してくれるかもしれない……。
 だが、そんな考えは砂糖よりもさらに甘かった。
 そもそも思い返せば、狗凪が勢いで『長の代理』を名乗った時も、一番楽しそうにしていたのは閃だったではないか。狗凪は自分の判断の甘さを責めた。
 それほど閃は、笑顔だった。
 「ケーッケッケッケ! 『嘘から出た真』だっけなぁ? いやぁ、楽しくなってきましたな! 狗凪君!」
 「……この、裏切り者め……!」
 ニヤニヤ顔の閃は、呪詛を吐く狗凪を完璧に無視して玄亥に視線を向けた。
 「そいで、なんでこのタイミングで長の交代なんだよ? や、俺も次の頭《かしら》がくななのは賛成なんだけど」
 「あぁ。それなんだけどな。俺は狗凪の言う通り、他所者で、しかも若い長なんぞ認めねぇっつぅ奴が出てくると睨んでる。だけど若ぇ奴らには若ぇ頭が必要になってくる……これからの時代を考えれば、それは仕方のないこったろうよ」
 どこか淡々とした玄亥の言葉に、不満を口にしていた狗凪も姿勢を正した。
 玄亥のことだ。伊達や酔狂で自分を長に指名しようとしているのではない。言葉を理解するにつけて、狗凪は背中に冷や汗が伝うのを感じた。
 玄亥は本気で、自分を長にしようとしている。
 「で、だ。そもそもの発端……『人間どもの消失』からこっち、古い奴らの士気が下がりまくってるのはお前らにもわかるだろ? 前長も人間のお遊びに興じるほど、ヨボヨボになっちまった。前長だけじゃねぇ。昔を知ってる妖かしほど、この異変についてこれなくなっちまったのさ……この俺も、な」
 そんなつもりは毛頭なかったんだが、と苦笑いする玄亥に、狗凪はなんと返せばいいかわからず押し黙る。
 「……だけどな。若ぇ奴らはそうじゃねぇ。お前らにはお前らなりのやり方ってもんがあるはずなんだ。俺らのようなジジイババアと一緒に、こんな山里で腐っていくよりもっとマシなやり方がある。俺はそう信じてるんだ」
 「そんな風に言わないでください。俺はあなたが長だからこそ、今まで従ってきたんです。ただ恩があるだけじゃない。あなたが信頼に足る妖かしだからこそ、俺は……」
 「おいおい」と玄亥が天井を仰ぐ。「俺をおだてたって木には登らねぇぞ? それに、お前に新しい長になれとは言ったが、俺が長を降りるとは一言もいってねぇ」
 矛盾する言葉に、狗凪を始めとした一同はぽかんとした表情を浮かべた。
 「えっ……いやでも、俺が新しい長だと……」
 「おうよ。若い奴らには若い長。古い奴らには古い長だ。お前は若ぇモン連れて人間の街に住め。それで文乃の話もなんとかなるだろ。俺は腰の重い年寄りどもをまとめて、山神の祠《ほこら》近くに居を移そうかと思ってる」
 恐らく、玄亥がずっと考えてきたことだったのだろう。
 古い妖かしは、自分より弱い者には従わない傾向が強い。その点、実力を伴う玄亥が先頭に立つのであれば、古老も今までどおり玄亥の指示に従うはずだ。
 そこまで考えて、狗凪は首を横に振った。
 「……やっぱり、俺には無理ですよ。若い妖かしだって、俺なんかについてきてくれるとは思えない。俺が誰かの上に立つ性格じゃないのは、皆知ってると思いますが」
 「それを決めるのは俺でもお前でもないさ」
 玄亥が腕を組んだまま、歯をむき出して笑った。
 「ま、賽は振っておいたんだ。いつもの俺の指示だと思ってやってみろ。それから色々決めればいいじゃねぇか」
 大雑把に話をまとめられ、狗凪は色々と否定したいことを全て飲み込む羽目になった。とにかくやれと言われれば、どんな内容でも一通りこなしてしまうのが狗凪の哀しい性質《さが》だった。
 がっくりと肩を落とした狗凪の後ろで、桐寿が小さく呟く。
 「だ、大丈夫だって! 皆で手分けすればなんとかなるって! それに俺、こう見えて結構顔が広いから、皆に声をかけてくるよ!」
 「俺にも手伝えることがあれば言ってくれ。助けてもらった恩を返していないからな」
 そう言って、アレクも身を乗り出す。
 閃はいつものように、
 「良い暇つぶしになりそうだなァ、若頭?」
 と、見る者が震え上がるほど不吉な笑みを湛えていた。
 ようするに、誰もかれもがこの一風変わった交代劇を歓迎していた。
 狗凪は深く息を吐くと、どうとでもなれ、と独り言ちた。
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