人間たちが作った道路に、小さな雑草が生え始めていた。
 周囲の木々が枯れ始めているという報告は上がっているものの、見た限りではいつもと変わりない風景が広がっている。しかしそれが逆に不気味でもあった。
 給水塔に穴が開き、電線が千切れ、少しずつ少しずつ風景が変わっていく。人間の町は妖かしにとっても見慣れたものだったが、その光景は確実に森へ呑まれようとしていた。
 その朽ちかけた町の一画で、威勢のいい掛け声が飛び交っている。
 声は空気を震わせ、遠く山の端まで響いていた。

 「……壮観だな。狗凪の奴もなかなかやるじゃねぇか」
 漆黒の着流しで腕を組み、玄亥は崖から見える光景に感嘆の息を吐いた。
 端と端とを一直線に結んだような、銀色の海。
 その海の手前、今や押し寄せる木々に埋もれそうになっている人間の町に、新しい建物が見えた。
 木造の住居は、灰色のコンクリートを侵蝕するかのように、町のあちこちに建てられている。大工職人がいれば卒倒しそうな設計だったが、大工も設計士もいない今、妖かしたちは自分たちの好きなように住居を作り上げていた。
 「しっかしあいつら、本当に自由だな」
 くっくと笑いを噛み殺す玄亥に、後ろの岩に座っていたぬらりひょんがぼそりと呟いた。
 「おめぇさんだって他所のことは言えねぇだろうが」
 「あぁ!? 俺のどこが自由だってんだ! 手前が自分の趣味に付きあわせて、俺を隠居に追い込んだんだろうが!」
 「儂じゃないわ、馬鹿たれ。そもそも隠居は自分の選んだ道だろうが。儂のような老いぼれのせいにするたぁ、〝黒牙〟の名も落ちたモンよ」
 歯に衣着せぬ物言いに、玄亥は次の言葉を忘れて口をぱくぱくとさせた。
 「この……い、言わせておけば……」
 「怒るな、怒るな。怒ったところで腐れ縁の切れるでも無し」
 「あぁ、まったく! 腐れ縁ってところだけは同意するよ!」
 そう怒鳴り返したものの、ぬらりひょんは涼しい顔で町を眺めている。玄亥は深い溜息をついて、同じく町を見下ろした。

 玄亥はちらりと後ろを振り向いた。
 青々としている木々のいくつかに、灰色とも茶色ともつかない、褪せた葉が何枚か混じっていることに、玄亥は気がついていた。
 触ってみると、ざらりとした感触を残して、葉は跡形もなく消え去った。
 ただの葉枯れでは無い。妖かしとしての直感が、異様な木の衰えを察知していた。
 「文乃の言った通りになりやがって……」
 誰に向けた言葉でもなかったが、玄亥は空に向かって毒づいた。
 「……狗凪の奴、間に合うといいんだがな」




 妖かし達は、最初のうちこそ人間の町を珍しかったが、あっという間に慣れて、自分たちの土地にしてしまった。そもそも人間の町出身である豆腐小僧やろくろっ首、百目や付喪神などもいて、特に驚くべきことはなかったのである。
 だがそれでも、見慣れないものは数多く存在した。
 かわうその一匹は、つるつるとした本のような板きれを見つけて、狗凪を呼んだ。
 「長よ。これはなんぞ?」
 「……わからない。なんだ、これ」
 事務所らしい建物の一画で見つけたそれは、薄く積もった埃を払うと、まるで黒い鏡のように美しかった。角はなく、下のほうに白い線が繋がっている。
 考え込む狗凪と獺の後ろから、閃が顔を出して笑った。
 「うわっ、中々良いもん拾ってんな」
 「閃はこれが何かわかるのか?」
 「おう。ちょっと貸してみ……」
 板きれを手渡すと、閃が板に繋いだ線の先を握る。数秒の後、板に白い光が灯った。
 「お、映った映った。ホレ、狗凪。これがタブレットってやつだ」
 「……たぶれっと?」
 「そうそう。画面を指で撫でてみろよ。面白いから」
 言われるがまま、光る板の上に指を走らせてみる。すると指の動きに合わせて、画像がくるくると変化し始めた。
 「えっ!? これどうなってるんだ……?」
 驚いて板の裏側を調べたりする狗凪と獺に、閃は頬を掻いた。
 「いやぁ、俺も原理まではわかんねーけど、とりあえず面白いぜ。まぁ、俺の充電分だけしか動かないから、それっきりなんだけどな!」
 「それでも十分凄いと思うが……お前、そんなことまでできたんだな……」
 「当たり前だろ、俺だぜ?」
 とんでもない理屈のように聞こえるが、閃が言うと思わず頷きそうになるのが恐ろしい。
 獺はこの不思議な板がすっかり気に入ったようで、小さな手を懸命に動かしては喜んでいた。
 「おもしろいのー! 長よ、これ、くれんかの」
 「別に俺のじゃないし、構わないけど……じゅーでん? とかはもうできないらしいぞ」
 「構わぬ! いざとなればおおなまずにでも頼むから大丈夫!」
 胸を張って言われると、それ以上何も言えなくなる。黒い板に夢中になっている獺を残して、狗凪は事務所の外へ出た。


 夏の日差しは少しも弱まらず、九月もとうに過ぎたと言うのに、町は乾いた空気に包まれていた。
 スーパーの駐車場に、数匹の妖かしたちが集まって頭を突き合わせている。どこから持ってきたのか、地面にはチョークで図面が描かれていた。
 「ちょうど良いところに」
 そう言ってアレクは、狗凪に向かって手招きした。
 「ここから西に少し行くと、大型倉庫がいくつかあった。頑丈そうだったから、手直しすればまだまだ使えそうだ。あと、見張り台はやっぱり役場が一番適している気がする。キリヒサは学校の様子を見に行ったよ」
 手についたチョークをはたき落としながら、アレクが簡単に現状を説明する。
 「そうか。……他の妖かしは?」
 先程事務所付近をぶらぶらしていた閃を除いても、妖かしの数が少なすぎる。アレクは首を横に振った。
 「さて、どこにいるのやら。予想はしていたけれど、ここまで自由に動かれるとまとめるのは大変だな」
 言うことを聞いてくれる子もいるんだが、と足元に座るスネコスリを見下ろして、アレクが肩を落とす。側にいた河童が、アレクを励ますように言った。
 「いやいやいや。好き勝手する奴らをよくまとめてるよ、アンタも若長も。俺らみたいな下っ端はこういう時どうすればいいか、わからないからさ」
 「そう言ってもらえると助かるな。しかし作業が進まないのは困りものだ」
 河童とアレクが揃って唸り声をあげる。
 「俺の説明が悪かったのかもしれない」
 狗凪は、初めて妖かしたちに挨拶した時のことを思い出し、独り俯いた。

 数日前、公園に集まったおよそ三〇〇もの妖かしたちを前にして、狗凪はしどろもどろの挨拶を繰り広げた。
 きちんとした演説や、音頭をとった事もない。そもそも、誰かに指示することすら無かった使い走りである。狗凪はなんとか自分の考え──住居や活動場所の確保、見張り台の設置等──を伝えると、そそくさとその場を後にした。それがいけなかったらしい。
 妖かしたちの集まりは悪く、作業もほとんど進んでいないと言っても過言ではなかった。
 
 「最初だし仕方ねぇよ。少なくとも俺ら河童一族は、狗凪のことを尊敬してるぜ。こんな時にまとめ役を買って出てくれる奴は、そうそういないからな」
 河童の言葉に、狗凪は苦り切った笑みを浮かべた。
 「ありがとう。とりあえず、手伝ってくれそうな奴を探してくるよ」
 狗凪は雑草が目立ってきた駐車場を後にした。
 陽炎が立ち上りそうなほどの道路に消えてゆく背中を見送って、アレクは再びチョークを握った。
 「……だけど、大丈夫かな……」
 立ち尽くしたままの河童が、心配そうに呟く。アレクは顔を上げた。
 「今はいろんな奴がピリピリしてるから……喧嘩くらいならいいけど、揉め事で分裂なんてことになれば……」
 「そんな奴がいるのか」
 アレクが驚いて問うと、じっと聞き耳を立てていた化け猫が、同意の鳴き声を上げた。
 「いるいる、わんさかいるにゃ。ずっと前から仲悪いヤツラとか、わざと喧嘩ふっかけて歩いてるって噂にゃ。きっと若長、苦労するにゃあ……」
 三毛の化け猫はそう言って耳を伏せた。
 アレクはもう一度、狗凪が去っていった方向を見つめながら、深い同情のため息をついた。

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