祭りの準備は、狗凪が唖然とするほど速やかに行われた。
 昨日やぐらを立てたと思ったら、今日は屋台の半分が完成している──始終そんな調子で、狗凪は知らず知らずのうちに、祭りの準備にかかりきりになっていた。
 妖かしの数は、日に日に増えていった。その中には歳経た妖かしの姿もあった。
 「なんだかんだ言って、結局誰も祭りの魔力には逆らえねーんだよ」
 目を細めて笑う閃に、狗凪は渋々同意する。

 あっという間に数日が過ぎ、祭りの開催日も三日後と決まった。
 それと同時に、町づくりのほうも一旦終いにしようとする声が上がった。祭りは、町の整備の小休止という意味でも、重要な意味を持ちつつあった。
 区切りが見えたこともあって、妖かしたちの士気は高い。泥田坊が地面をならし、カマイタチの親子が藪を切り払っていく。
 形作られていく自分たちだけの町。妖かしたちは知らず知らずのうちに、この土地に馴染み始めていた。

 忙しく立ち回る妖かしたちの間に悲鳴のような呼び声が聞こえたのは、狗凪が一つ目小僧の住処を見ていた時だった。
 「若頭!! 大変だ、学校で鬼と狐が大喧嘩してる!!」
 息を切らせて入ってきた若い狐は、息せき切って告げた。
 「あいつら、どっちが頭にふさわしいか言い争ってたんだ……! 俺たち、止めようとしたんだけどよぅ!」
 最後まで聞かずに、狗凪は通りへ走り出る。
 一つ目小僧に「すぐに戻る」と声をかけると、山犬の姿に戻り、真っ直ぐ駆け出していった。


 学校は、祭りの主な会場として準備されていた。
 校庭は綺麗に整地され、雑草も刈り取られている。中央には見上げるほどの櫓が設置されていて、あとは太鼓を置くばかりになっていた。
 その櫓の下で、鬼と狐が睨み合っている。
 「ここで会ったが百年目よ、狐の! 積年の恨みを思い知れ!」
 「ハッ、毎度まいど頭の悪そうな口上で。お前さんのような能無しに構ってる暇なんてねぇよ」
 「なんだとっ!? 」
 周囲にはそれぞれの眷属が居並び、やんやと囃し立てている。狐の一族は牙を剥いて威嚇し、鬼の仲間たちは棍棒を振り回して地面を踏み鳴らす。その騒ぎを、他の妖かしたちは遠巻きに見つめていた。
 校庭に滑り込んできた狗凪に気づくと、狐と鬼は一斉に鼻を鳴らした。
 「おいおい、噂をすればなんとやらだ」
 「また若長様か。いい加減にあの得意そうな顔を止めて貰いたいもんだね」
 鬼が顔を歪めて笑い、狐が露骨に眉を顰める。
 狗凪は平然を装って二人の前に立った。
 「何をしてるんだ、今は祭りの準備中だぞ」
 鬼はわざとらしくため息をつく。棍棒を肩に担ぎ直すと、まるで聞き分けの無い子供に言ってきかせるように話した。
 「あぁ、知ってるとも。だけど頼りねぇ長の言うことなんて聞けねえってんで、ちょっとばかしこいつらから意見を聞いてたのよ」
 「……意見?」
 「そうよ。俺とこいつ、どちらが長にふさわしいか、ってな。ま、犬狐如きに里長が務まるわけないんだがよ」
 鬼は牙を剥いて笑った。
 「冗談じゃねえわ。このボンクラ、何寝言ほざいてやがる」
 狐が尾を膨らませて抗議する。青白い狐火がいくつも空を舞い、その度に陽炎が揺らめいた。
 「おい、狗凪! いい加減俺らもウンザリしてきたし、ここらで白黒はっきりさせてくれや。強いほうが弱い方を従えさせる。妖かしらしく、文句の出ないやり方だろ? 」
 狐の眷属たちが一斉に吠えて同意する。対する鬼たちも怒号を浴びせ、互いの一族は、今にも飛びかかりそうに敵意を剥き出しにしていた。

 
 その様子を、校舎二階の廊下から見ていた閃は、深いため息をついた。
 「はぁー。くだらねーことに巻き込まれてんなぁ、アイツも」
 「狗凪は大丈夫なのか?」
 一緒に提灯を探しに来ていたアレクは、心配そうに校庭を見つめる。
 閃は首を横に振った。
 「まぁ、なんとかするだろ」
 「なんとかって……この間みたいに、助けないでいいのか? 」
 「そうしたいのは山々だけどよ。これくらい自分でなんとかできなきゃ、これから先どうしようもないだろ」
 それはそうかもしれないが、とアレクが顔を曇らせると、閃はいつもの、見ている者が震え上がるような笑みを浮かべた。
 「それにな、アレクはしらねーだろうけど、狗凪はこの里の妖かしでも一番怖い奴なんだよ」
 「えっ? 彼が?」
 温厚を絵に描いたような狗凪のことを『怖い』と評する閃に、アレクは首を傾げる。閃は含み笑いをして、その場を後にした。
 「俺は嫌だね。アイツを敵に回したくなんてねーよ。間違いなくキレたら一番ヤバいタイプだぜ、アイツ」

 
 鬼と狐の集団に挟まれても、狗凪は身じろぎひとつしなかった。
 うるさいくらいに互いを罵倒しあう鬼族と狐族は、とっくに狗凪の存在を忘れたようだ。
 もう我慢できねぇ、やっちまえ! とどちらかから声がかかると、賛同した怒鳴り声が校庭中に響く。二つの眷属が殴り合う直前になって、鬼と狐ははたと狗凪の存在を思い出した。
 狗凪は、笑っていた。
 まるで子供が面白いものを見つけたように、今にも笑い出しそうなのを堪えた顔で、その場に立ち尽くしている。
 鬼と狐の一族も、その異様な姿に気づき、騒ぐのをぴたりと止めた。
 「……おい、何笑ってやがる」
 鬼が薄気味悪そうに言う。前々から狗凪の考えていることはわからないと思っていたが、今やその存在は不気味ですらある。
 対する狐も、鬼と同様の意見だった。
 「お前、どっかおかしくなったんじゃねーか?」
 「おかしい? 俺が? まさか。ただ、その前にちょっとお願い事があるんだ」
 狗凪はどこまでも晴れやかだ。
 「へぇ、若長様から直々にお願いとはね! 」
 狐はいつもの調子を取り戻し、嫌味そうに笑った。
 「それで、どういうお願いなんです? 長様」

 「簡単なことだ。俺を倒してからあらそえ」

 ニコニコ顔のまま言い切る狗凪に、鬼が目を剥き、狐が息を飲む。
 周りを囲んでいた眷属も、遠巻きに見ていた妖かしたちも、一斉に凍りついた。
 「……ちょっと待て、どういう意味で言ってるんだ、おめぇ」
 「そのままの意味だ。さっき言っていたじゃないか、『強いほうが弱い方を従えさせる』。妖かしらしいやり方だと」
 鬼と狐は互いに顔を見合わせた。
 「俺としては万々歳だよ。やりたくもない長の仕事をさせられて、こちらもウンザリしてたところだ。笑顔のひとつやふたつ、浮かべたくなると言うもんだ」
 笑顔を貼り付けたままだった狗凪が、突然真顔に戻った。
 ぞっとするほど冷たい眼差しが、鬼と狐に突き刺さる。二匹の妖かしは、自分たちが知らずに一歩後ずさっていることに気づいた。
 歳若い狗凪が、鬼と狐に勝てる見込みはほとんど無い。
 にも関わらず、二匹は狗凪に気圧され、冷や汗をかいている。
 「……ただ、短い間とは言え、俺には責任がある。前長から託され、他の妖かしからわれた、里長の責任が。いくら嫌だからと言って、中途半端にこのせきを放り投げることはできない」
 低く、聞き取れないほど小さい音量だが、狗凪の声はよく響いた。校庭は静まり返り、狗凪の次の言葉を待った。
 「どちらが優れた長かなんて、俺にはあまり興味がない。この里をより良くしてくれるなら、どんな奴だろうと歓迎する。俺より上手く町を作り、安心できる場所を広げ、どんな妖かしも受け入れるくらい懐の広い里になるのなら、俺は自分の処遇などどうでもいい。例え里を追い出されようとも、この場で殺されようとも、文句は無い」
 周りで見ていた妖かしたちが、声もなくどよめいた。互いに顔を見合わせ、首を横に振る。
 「俺は残念ながら、出来のいい長じゃない。不満に思っている妖かしがいることも、重々承知している。歳経たわけでも、力に優れているわけでもない俺にできることと言えば、たかが知れている。だからこの里が本当に良くなるなら、俺はどうなったって構わない……」
 狗凪は俯き、言い淀む。
 消え入りそうな声が、校庭に落ちた。
 「俺は、本当に、この里が好きなんだ……」


 先程までの騒がしさが嘘のように、校庭は静まり返っていた。
 小さな妖かしの、尾を振る音ひとつ聞こえない。その場にいる妖かし全てが息を呑み、成り行きを見守っていた。
 痛いほどの緊張感が募る。
 不意に、鬼が息を吐き出した。
 はぁ……と大きなため息の後に、笑いを噛み殺している。やがて鬼は堪えきれず、大声で笑い始めた。
 「……ぐっ……ふっふふう……はぁーっはっはっはっ!!! 」
 何がおかしいのかわからない周囲の妖かしたちが唖然とする中、鬼はひたすら大声で笑う。そしておもむろに狗凪の横に立ち、背中を思い切り叩いた。
 「いっ……!? 」
 心の臓が潰れるかと思うほどの衝撃。
 痛みのあまり声がでない狗凪に、鬼は高笑いしながら言い放った。
 「お前、言ったな!? はっははは!! 久しぶりにこんなバカを見たぞ!! 」
 鬼は、背中を叩くだけでは飽き足らず、肩を掴んで揺さぶりだす。その力の強さに、狗凪は抵抗する事もできず、なすがままにされていた。
 「あぁ、まったくだ。よくもまぁそんな大言壮語が吐けたもんだよ」
 心の底から呆れ返った様子で、狐が言う。
 「鬼からバカって言われてりゃ世話ないわ。なんでぇ、もう死にそうな顔してるじゃねぇか」
 「いや、ちょっと、助け、苦し……」
 大声で笑い転げる鬼に、これ以上無いほど乱雑に叩かれて、狗凪は舌を噛み切らないように喋らなければならなかった。
 鬼はひとしきり笑った後、得意げに胸を張った。
 「気に入ったぞ、若長! いやぁ、真面目一辺倒だと思ってたお前がこんなに向こう見ずだったとは知らなかった! そんなふざけた覚悟を持った奴、お前が初めてだ! 」
 褒めてるのかバカにしてるのかわからないが、鬼はどこまでも真剣だ。
 狗凪は尻尾の付け根がピリピリするような羞恥心を覚えて、はぁ、と返すのが精一杯だった。
 「悪かったな、つまらん喧嘩に巻き込んで。おい、狐の! 俺は若長につくからな! 」
 「ケッ、勝手にしくされ。あー馬鹿馬鹿しい」
 毒気を抜かれたように言って、狐は踵を返した。お互いに顔を見合わせていた眷属たちも、ぞろぞろと後に続く。取り巻いていた妖かしたちは、その一団に道を開けた。
 不意に狐が振り返る。
 「おい、狗凪」
 挑むような狐の目に、狗凪は緊張感を取り戻す。
 しかし次の瞬間、狐は牙を剥き出して、にやりと笑ってみせた。
 「……やるんなら、デカい祭りにしてみせろや」
 言うなり、尾を翻して駆け出していく。狐の一団の姿が見えなくなると、狗凪は漸く息を吐いた。
 上機嫌の鬼たちも去り、校庭に集っていた妖かしたちは三々五々散らばっていく。
 持ち場に戻る妖かしたちの間を縫って、閃がこちらにやってくるのが見えた。
 「オツカレちゃーん」
 いつもの調子で抱えていたダンボールを下ろすと、閃は未だ立ち尽くしている狗凪に手を振った。
 「いやー、かっこよかった。狗凪センセイ、俺、惚れ直しちゃいましたワー」
 「……見てたのか? 」
 答えを聞くまでもなく、閃の嫌らしいニヤニヤ笑いが、全てを物語っている。狗凪はその場で悶たいほどの恥ずかしさに襲われた。
 「いや、あの、あれはモノの例えだからな? 本気で言ったわけじゃない」
 「ごめんな、狗凪……俺、無力で……」
 唐突に閃が俯き、肩を震わせた。
 「だから俺には……さっきのことを、玄亥のオッサンに報告することくらいしかできないんだッ……!! 」
 言うが早いが、閃は目にも留まらぬ速さで駆け出していく。狗凪が悲鳴を上げる暇も無い。
 「うわぁああ!? だ、誰かあいつを、閃を止めてくれー!! 」
 渾身の叫びが、校庭に虚しく木霊する。しかし”雷よりも速い”と謳われた雷獣を止めることは、誰にもできなかった。

 その夜、鬼と狐の件で事情を聞きたいと言う玄亥からの連絡と、仲を深めたいから呑みに来いと言う鬼たちからの連絡を受け取った狗凪は、どちらにも応じることなく、ひたすら自分の寝床で丸くなっていた。
 これだから俺は長なんかになりたくなかったんだ、と今更のように呪っては、日中の出来事を思い出して悶え苦しむ。
 狗凪はその夜、自らの尾を抱きかかえ、子犬のようにめそめそと泣きながら過ごした。
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