ドドン、と太鼓が打ち鳴らされた。
 陽の暮れかかった校舎に、色とりどりの提灯が並べられる。涼やかな夏の匂いと、何かが焼ける香ばしい匂いが混ざり合い、町に流れていく。
 高台にある校舎からは、色濃く落ちてゆく夕日と町が良く見えた。
 
 既に妖かしたちは祭りの雰囲気に酔っている。ある者はりんご飴らしき菓子を舐め、ある者は、射的の替わりに石を投げて景品を落とす屋台に夢中になっている。そのどれもが、人間たちが行っていた祭りの出し物と似て非なるものだ。
 「いらっしゃいいらっしゃい! イカ焼き、タコ焼き、どっちも食べたいなら紅白焼き! 白と赤の紅白焼きはいらんかね! 」
 「寄ってらっしゃい見てらっしゃい! 世にも珍しいホタル釣り! 人間どもあの世で羨む、綺麗なきれいなホタル釣りだよ!! 」
 「ここにあるのは人間たちが使っていた楽器。うまく音が出せたら賞品をあげるよ! 強くてもダメ、弱くてもダメ。挑戦は一回限り! 」
 中には、どうやったらそんな屋台を思いつくのかと呆れたくなるものもあって、校庭は既に混沌とした騒ぎに包まれている。
 「踊りはまだ? どこでやるの? 」
 よるすずめの一団が、アレクの肩に止まっている。アレクはこの数週間で、里の小さな妖かしにすっかり懐かれていた。
 「さぁ。まだ始まる時間じゃないはずだけど、結構屋台が開いてるなぁ。桐寿、何時から始まるかわかるかい? 」
 「確か、日暮れ時からだったと思う……こらこら! 走っちゃ危ないよ! 」
 桐寿は、足元をすり抜けて駆けて行くイタチカワウソの子供に声をかけた。腕には、誰彼構わず絡みついて危ないと言う理由で、スネコスリを抱いている。
 「じゃあ、そろそろかな」
 アレクは目を細め、暮れ行く夕日を見つめた。
 校庭にやってくる妖かしの数が増えてくる。普段は着飾ることなどしない妖かしたちも、この日ばかりはお洒落を楽しんでいるようで、色とりどりの服が行き交っていた。

 妖かしたちの中でも、一際目を引く一団がこちらへとやってくる。
 鮮やかな朱色に塗られた牛車だ。周囲には蛇稚児と呼ばれる妖かしたちが、すいかん姿で供をしている。他の妖かしたちは、突然現れた平安時代の行列に、何事かと道を開けた。
 「今晩わ、お二人とも」
 牛車のものから声をかけられて、桐寿とアレクは互いに顔を見合わせた。
 「その声……ひょっとして、文乃さん!? 」
 巻き上げられたすだれの奥に、目にも鮮やかな十二単を着た文乃がはにかんでいた。
 「えぇ、そうです。よい夜ですね」
 山神の娘らしく、凛とした佇まいで微笑みかける。一年前、人間と山神の不在を嘆いていた影はどこにも見当たらない。
 この数日間、文乃の活躍は目覚ましかった。ジャージを着て、人間たちの祭りを再現しようと奮闘していた。他の妖かしたちは、かつては敬遠していた文乃の思わぬ行動力に驚いたが、徐々に慣れていった。そして最終的に、彼女の指示を仰ぐようにすらなっていた。
 「おや、文乃じゃないか」
 「こんばんわ、文乃さん」
 「こりゃまた派手な姿だねぇ! 牛車なんて見たの、久々だぜ! 」
 周囲の妖かしたちが、気軽に声をかける。
 「はい、こんばんわ、皆さん。驚かせてごめんなさい」
 「気合入ってるなぁ。凄い衣装ですね」
 アレクが唸りながら言う。おうぎで顔を隠しながら、文乃は照れ笑いした。
 「まぁ。それを言うなら、お二人もではありませんか」
 桐寿とアレクは、かつての衣料品店に置いてあった着物を拝借している。桐寿は、じんべい、アレクは濃紺色の浴衣を着ていた。
 「着るのに手間取りましたけどね……そういえば、そろそろお祭りが始まるみたいですよ」
 三人は、ざわめきが大きくなりつつある校庭を見渡した。陽は沈み、提灯に明かりが灯され始めている。
 その時、櫓の上からくぐもった音がした。
 ボスボスと何かを叩く音、そして聞き慣れた声。
 『あーあー、マイクテス! マイクテス! おい、端まで聞こえてっか!? 』
 閃の声に反応して、マイクがハウリングを起こす。高周波音と化した閃の声に、校庭のあちこちから悲鳴が上がった。
 「うるせーぞ、バカ閃! 」
 「そのキーンって音止めてくれー! 」
 『おう、悪ぃ悪ぃ』
 悪びれる様子無く言い、閃がマイクの音量を調節する。音が安定し、校庭のあちこちに設置されたスピーカーから、小さくBGMが流れ始めた。
 『よし、今度は完璧だな! お前らよく聞け! 今から第一回、大妖怪祭りを開催する! 』
 「おい、名前ダセェぞ! 」
 「もうちょっとひねってこい! 」
 再び、どこからか野次が飛んでくる。閃は『うるせぇ! 』と一喝した。

 呆然と櫓を見上げる桐寿とアレクの隣に、のっそりと影が現れた。
 「……おい、なんでぇあの馬鹿げた格好は」
 「あ、前長」
 玄亥は小さく唸り、再びため息をつく。
 櫓の上の閃は、格好こそ桐寿と同じ甚平だが、色は真紅に真っ白な炎の模様がプリントしてある代物で、背中には大きく『閃』の一文字が入っていた。派手好きな閃らしい格好だ。
 「って言うか、なんで人間の使ってた道具が使えるんだ?」
 玄亥はマイクを指して首をひねる。そう言われてみれば、とアレクが辺りを見回し、一つの結論を導き出す。
 「彼は自分の作る電気を機械に送り込んでいるのでは? 」
 閃は雷獣である。雷を起こすことなど造作もない。しかし桐寿は首を横に振った。
 「いや、ちょっと前まではできなかったよ……なんでもアンペア? とか電流? とか難しいらしくて、それでいくつも電子機器壊してたし」
 人間の作り出す機械は、閃から見れば恐ろしく繊細なものだった。人間の社会で遊んでいた頃はその恩恵に預かったが、いざ自分で動かそうとすると、細やかな制限がいくつもあった。
 しかし閃は、自分の欲望を叶えるため、地道に電流の流れを制御し、ついに電子機器に電気を流し込むことに成功したのだ。
 玄亥はぼそっと「阿呆か」と呟いた。
 「どうせ〝てれび〟がみたいだの〝からおけ〟がしたいだのって理由だろ……アイツはそういうことしか頑張れねぇのか」
 「……まぁ、そういう奴ですから」
 櫓の上でマイクパフォーマンスを続ける閃に身も蓋も無い感想を述べて、桐寿は乾いた笑いを漏らした。
 「でも、賑やかで良い祭りです」
 文乃は牛車を降りると、玄亥の横に立った。
 「久しぶりですね、玄亥。ぬらりひょん様はどちらに? 」
 「いつもあのジジイといるわけじゃねぇよ」
 照れ隠しなのか、怒ったように言う。文乃は「まぁ」と穏やかに笑った。
 「では、灰良さんたちは? そちらの館にお住まいでしょう? 」
 灰良と磯女は、とりあえず玄亥の館に身を寄せている。人間の町は少しずつ出来上がっていたが、二人の住む場所までは確保できていなかった。どうせ余っているからと言う理由で、玄亥は二人に部屋を提供していた。
 「あぁ、あの賑やかな二人ならそろそろ……うおっ!? 」
 何かが背中に当たり、玄亥はたたらを踏んだ。
 見ると、灰良が玄亥の背中に張り付いている。
 「やっと見つけた! 妖怪さんがたくさんいて、大変だったよー! 」
 鮮やかな藤色の浴衣に、山吹色の帯を締めた灰良は、そう言ってニコニコ笑う。
 「お久しぶりですね、灰良」
 「文乃、久しぶり! 皆ここにいたんだね! 」
 遅れてやってきた磯女が、玄亥の背中から灰良を引き剥がす。玄亥は大きくため息をついた。
 「やれやれ、ひどい目にあった……ところで、狗凪の奴はどこにいやがんだ? 」
 「あれ? 狗凪はここにいないの? 」
 目が見えない灰良が首を傾げる。桐寿は苦笑した。
 「多分、もうちょっとしたら櫓に上がると思うけど。大丈夫かなぁ。昨日だって延々『やっぱり無理だ、俺にはできない』ってぶつぶつ言ってたし」
 多くの妖かしの前で何かを喋るということを最も苦手とする狗凪が、神経を逆立てている姿を想像して、玄亥は思わず吹き出した。
 「あいつ、今頃死にそうな顔してんじゃねぇか? どれ、発破かけてきてやるか」
 「止めてあげて下さい……そんなことしたら、冗談抜きで逃げ出しますよ、くな」
 桐寿と玄亥がそんな会話を繰り広げている間にも、妖かしたちはどんどん増えていく。既にグラウンドを埋め尽くし、階段や隣近所の家に上がり込む妖かしまでいる始末だ。
 「賑やかですねぇ」
 心底嬉しそうに文乃が呟いた。
 「うん。なんだか人間のお祭りとはちょっと違うけど……でも、楽しいよ」
 「えぇ、本当に」
 灰良と文乃が顔を見合わせて笑う。
 その時、櫓の上の閃が再び声を張り上げた。
 「はい、全員今から新しい長のご挨拶があるから注目! 屋台で遊んでる奴もちょっとこっち見ろ! 後は狗凪、よろしくゥ! 」
 いいからひっこめバカ閃! という野次を尻目に、閃は悠々と櫓を降りる。
 替わりに登ってきた狗凪は、最早この世の終わりのような顔で櫓の上に立った。
 見渡す限り、妖かしばかり。
 校庭から溢れ出した妖かしが道を埋め尽くしていた。小さな狐や狸、歳経た猫や鼬、野生の猿の群れ……およそ妖かしとは言えない動物たちも、まるで熱に浮かれたように祭りの輪に加わっている。今更ながら、そのほとんどがこちらを見ていることに気づいて、狗凪は喉に何かつかえているような感覚に襲われた。
 「あー……えーっと……」
 閃から渡されたマイクを手に、何を喋ればいいか戸惑う。
 普段なら容赦なく飛ばされるはずの野次も無い。それが妖かしなりの優しさなのだろうが、今の狗凪にとっては焦りにしかならなかった。
 ふと、今までの出来事が頭をよぎる。
 少し前まで、下っ端で里の見張りくらいしかできなかった自分。
 あれよあれよと言う間に担ぎ出され、今こうしてこの場に立っている自分。
 アレクや灰良たちが里にやってきたこと。烏天狗たちの襲来。文乃が言う山神の不在。それらを裏付けるような、不吉な出来事の数々……。
 じっとりとまとわりつくような暑さの中、狗凪はマイクを握り直した。
 「……皆、こんな時に集まってくれてありがとう。盛大に祭りを楽しんでくれと言いたいところだけど、その前に伝えたいことがあるんだ」
 狗凪は小さく息を吸い、吐く。
 「もう知っている通り、人間はいなくなった。そんな日がくるなんて想像もしてなかったから、最初は驚いたと思う。でも、俺達は消えなかった。だからこれからはこの国で、いや、人間たちの生きていた世界で、俺達は生きていかなくちゃならない。今までのように森や海に隠れ住む必要はなくなった。その代わり、降り掛かってくるあらゆる問題を、俺達の手でなんとかしなきゃいけなくなった」
 一度言葉を区切る。
 ふと、玄亥と目が合った。玄亥は小さくうなずき、口角を上げてニヤリと笑う。
 狗凪はマイクを握り直した。
 「……入れ替わった。新芽が大樹になり、また新芽を出すように、森の木々がゆっくりと世代を重ねるように、永遠だと思っていた俺達妖かしも、人間と入れ替わってこの世界を生きていかなくちゃならなくなった。これからどんなことがあるかわからない。もう皆知っての通り、この里も山神がいなくなったことで不安定になっている。ここだけじゃない、恐らくこの国中で同じことが起こっているはずだ……それについて、俺達はどうすることもできない。神や自然や、そういうものをどうにかする力も持っていない」
 狗凪は、くだんという妖かしがいたことを思い出した。未来を予知するはずの件は、しかし人間が消え去ってから一匹たりとも生まれていない。予知をしたらすぐに死ぬ運命にある件が生まれないのは、人間の未来以外は予知しないからだ。
 「妖かしは」と、狗凪は呟くように続ける。
 「妖かしは、今まで人間の存在の上に成り立っていた。色々意見はあると思うが、俺はそうだったと思う。逆に言えば、今までは人間たちの世界でしか存在できなかったものもたくさんあるだろう。そのせいで俺達が失ったものもあるだろう。だけど、人間がいなくなった以上、この世界は妖かしの世界だ。どんなに不都合があろうと、例え未来のことがわからずとも、俺たち妖かしはこの場所で生きていく。誰からも縛られる必要はない。もう隠れ住むことも無い。ここは俺たちの故郷──あやかしのくに、だから」

 今日はその記念日だから存分に楽しんで欲しい、という狗凪の声は、妖かしたちの歓声にかき消され、まるで聞こえなかった。
 大歓声が上がった。
 町を半分埋め尽くしているのではないかと思われるほどの大小様々な妖かしが、足を踏み鳴らし叫ぶ。
 「いいぞ! 若長ー!」
 「よく言った!! 」
 「俺たちの世界だ! 」
 大入道や大蛇が笑い、土蜘蛛が酒樽をひっくり返す。上機嫌の鬼やら送り狼やらが、出始めたばかりの月に向かって吼える。地面が轟くような大騒ぎだ。
 思わぬ大歓声に、狗凪は言葉を忘れて櫓の上に立ち尽くす。次に自分が何を言うつもりだったかも忘れてしまった。あまり騒いで問題を起こさないように、と続けたが、既に妖かし達はあちこちで乾杯の音頭を取り、若長の言葉など誰も聞いていなかった。
 「……あー、えぇと、とりあえず俺からは以上で……」
 ぼそぼそと喋り終え、その場を後にする。
 替わりに河童たちが櫓に上がり、慣れた手つきで太鼓を叩く。
 どん、どん、どどん、と一定のリズムで太鼓が打ち鳴らされると、釣られた妖かしたちは櫓を取り囲み、でたらめな踊りを踊り始めた。
 
 「お疲れ、狗凪! 」
 声をかけてきたのが桐寿に、狗凪はかろうじて手を上げて応えた。
 「あ、今日はそんな服装をしてるのか」
 桐寿は自分の甚平を見下ろして笑う。
 「もちろん、祭りだからね。狗凪のもあるよ。着る? 」
 「俺はいい……」
 今更着替える余力も無い。狗凪はぼんやりと踊り騒ぐ妖かしたちを見つめた。
 「あれで良かったのかな」
 「もちろん。この盛況を見てご覧、有名人のコンサートだってここまで盛り上がらないさ」
 遅れてやってきたアレクが愉快そうに言う。
 踊り狂う妖かし達、陽気な音楽。小さな町は、一年ぶりに盛況を取り戻している。
 「なんでぇ、まっとうな事言いやがって」
 妖かしをかき分けてやってきた玄亥は、笑みを抑えきれないと言った様子で、狗凪の背中を叩いた。
 「狗凪! 仕事終わった? 早く屋台に遊びに行こうよ! 」
 「お疲れ様でした。とても良いお話でしたよ」
 灰良と文乃の声もあまり聞こえない。どうやら近くで賭け相撲が始まったらしく、円を描いて熱中する妖かしたちの声援が、辺りに響き渡っていた。
 玄亥が耳に指を突っ込みながら憮然として呟く。
 「あー、うるせぇ……こんなに騒がしかったか? この里は」
 どこかで、どっと笑い声が起こる。手を叩く者、踊る者、呼び込みをする者の声が、渾然一体となっている。
 「これがこの里の、本来の姿なのかもしれませんね」
 文乃はざわめきに耳を澄ませる。人間のいた頃とは違う、それでいてよく似たざわめきに、想いを馳せているらしかった。

 こちらに歩いてきた閃を見つけた桐寿が、手を上げた。
 「あっ、おーい! 閃、こっちこっち! 」
 妖かしに紛れてやってくる閃は、どこか硬い表情だ。狗凪は灰良に引っ張られる袖を直しながら閃に声をかけた。
 「どうしたんだ? ……ひょっとして、何か悪い知らせか? 」
 もしくは自分の音頭が悪かったのか。
 顔を強張らせる狗凪に、閃は髪を掻いて言葉を濁した。
 「あー……いや、そういうんじゃねぇんだけど……」
 「えっ、何? 何か問題でもあった? 」
 桐寿も不安げに聞き返す。
 「いやぁ……これを言ったら、玄亥のオッサンがまた俺のことバカにするし」
 「そんな格好してる時点で、何を言っても同じことだろうが」
 ド派手な甚平への辛辣な感想に舌打ちした閃だったが、すぐに表情を改める。
 「あぁもう。いいかお前ら。今から俺が言うことを信じろよ? 」
 櫓の上の態度とは打って変わった閃の様子に、狗凪は頷いた。
 どんなにふざけていても、閃は頼れる妖かしだ。冗談やいたずらは時と場所を選んでいる。この真面目な表情はただごとではない、と狗凪の直感は告げていた。
 「わかった。何があったんだ? 」
 「俺も未だに信じられねーが……雨の匂いがする」
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