のんびりと道路を横断しながら、三人はあてど無く街の残骸をぶらついた。
 玄亥からは『何か使えそうな場所や物があったら知らせろ』という、曖昧な仕事を言いつかっていた。そのせいで道草ばかりになり、ぐだぐだと雑談が続いているのも仕方のないことだった。
 「もうちょっと海沿いを行こうぜ」
 と言い出したのは閃だ。よく日に焼けた腕をあげ、浜辺を指さす。
 「あっちに小魚がいるちっちゃい入江があんだよ。波も結構あるから、泳ぐにはうってつけなんだよなぁ」
 本性は獣だが泳ぐのが何よりも好きな閃は、水辺ならどこでもご機嫌になる。それとは反対に、狗凪はあからさまに顔を顰めた。
 「いや、俺はいいよ。街の中を歩いてくる」
 「へ? ……あ、あーそういえば狗凪は泳げなかったっけ」
 むすっとした顔を隠そうともせず、狗凪は頷いた。どうにも『暑いから水を浴びる』という考えが理解できない。水滴が肌を流れる感覚など、気持ち悪いにも程がある。
 桐寿と閃は顔を見合わせて苦笑いした。
 「悪ぃ悪ぃ。じゃ、俺たちはあっちで泳いでから合流するわ。待ち合わせどうする? 」
 「学校がいいかな。わかりやすいし」
 狗凪は後ろを振り返り、時計のついた灰色の建物を指差した。この街唯一の高校は海に面した住宅地の奥に建っていて、浜辺や中心地からでもよく見える。
 「じゃあ、昼過ぎには学校に行くわ。桐寿、お前浮き輪取ってこいよ! 」
 閃は友人を爽やかにパシりながら駆け出していき、桐寿もぶつぶつ言いつつその後を追う。なんだかんだ言いつつ水辺が好きな二人は、連れ立って去っていった。
 残った狗凪は辺りを見回すと、当面市街地を歩きまわることにした。
 妖怪がこれほど日中人間の街にいることは珍しい。まして狗凪などは里に従順な妖かしで、仕事でなければ人間の街に近づくことはなかった。閃や桐寿のように、暇つぶしで人間の高校へ入学するなど言語道断だ。
 だからこそ、この明るい日差しの下で、人間の痕跡が見られるのが物珍しかった。狗凪はゆっくりと路地を歩き、家々を観察した。
 
 どこかで、チリン、と風鈴が鳴った。
 熱風に近い風が狗凪の頬を掠め、路地を通り抜けていく。八月の終わりとは言え、まだまだ真夏日が続きそうな空は、入道雲すら見当たらないほど晴れ渡っていた。
 さすがに暑い。
 狗凪は、熱を直接反射してくるアスファルトに全面降伏し始めていた。地面とは違い容赦なく照りつける反射熱は、いくら妖かしといえども辛いものがある。
 しばらくうろついてみたが、これと言って収穫も無かった。狗凪の足は自然と海のほうへと向いていた。
 水が多くあるところなら、少しは涼めるのではないか──という狗凪の考えは、あっけなく崩れ去った。海辺が恐ろしく暑いのである。まるで海上で熱気が生まれ、それがそのまま吹き寄せてきているのではないかと疑いたくなる暑さだ。
 街なんかにくるんじゃなかった。もう帰ろう、と狗凪は決意した。山生まれ山育ちの狗凪にとって、人間の街は苦痛でしか無い。
 閃と桐寿を呼ぶ為に、狗凪は反射熱の照りつける浜辺へ降りた。近場で遊んでいるはずだが、二人の姿はどこにもない。
 狗凪が辺りを見回していると、遠くで手を振る影が見えた。桐寿が息を切らせて何か叫びながらこちらへ走ってくる。よほど慌てているのか、腰には浮き輪をつけたままだ。
 「狗凪ー! た、た、大変だ!! 」
 「あぁ、そんな格好のまま走ってくるぐらいだから大変なんだろうな。どうしたんだ? 閃が溺れたか? 」
 「河童の生まれ変わりが溺れるわけないでしょ……じゃなくて! 人! 人間が! あっちに倒れてるんだってば!! 」
 一瞬の間を置いて、狗凪は桐寿の言葉を理解する。まさか、と呟く狗凪に、桐寿は首を振って否定した。
 「本当だって! 今、閃が様子を見てくれてるんだ」
 「わかった、行こう」
 二人は連れ立って走りだした。
 
 浜は数メートル先で終わっており、その向こうにテトラポッドと岩礁が続いている。複雑な潮流になっているらしく、岩礁付近では絶えず波が白く渦巻いていた。
 テトラポッドと岩場の間の小さな空間に、見慣れない男が倒れているのが見えた。閃はしゃがんで男を調べていたが、狗凪に気づくと手を振った。
 「よぉ。なんだ、結構近くにいたのか」
 閃の傍らにうつ伏せで倒れている男はぴくりとも動かない。
 「死んでるのか? 」
 狗凪が聞くと、閃は首を横に振った。
 「さぁね。でも多分生きてるんじゃねぇか? 見てみろよ」
 閃に促されて男を覗き込むと、ほのかに色づいた指先と、流れ着いたにしては血色の良い頬が見えた。どうやら気を失っているだけらしい。
 「……ということは、人間じゃないのか? 」
 「おうともさ。俺も最初見つけた時は人間の死体かと思ってビビったけど、このオッサン俺達と同じ妖怪だわ。ただし嗅いだこともねぇ匂いだけど」
 「なんだぁ。世紀の大発見かと思って損した」
 単純に落ち込む桐寿は男の側に近寄ると、その姿をまじまじと観察した。
 「でも、そんな妖怪がなんだってこんなところで寝てるんだ? 」
 「……どっからどう見ても流れ着いてきたんだと思うが。とにかく、里に知らせよう。どこか怪我をしているかもしれない」
 「めんどくさいなぁ。うちの里を襲いに来た他所の奴だったらどうするんだよ」
 話している側から呻き声が聞こえ、三人はほとんど同じタイミングで倒れ伏している男を見た。同時に男から数歩距離を取る。
 男がゆっくり目を開けると、美しいはしばみ色の瞳が三人を見上げた。
 「……ここは、一体……」
 流暢な日本語だが、どこからどう見ても日本にいる妖怪ではない。瞳の色も、精悍な顔立ちも、異国の風情を漂わせている。
 男はゆっくりと体を起こし、頭を強く振った。
 「どうやら死んではいないようだ。というより…… 」
 言いかけて、男は狗凪たちを呆然と見上げる。自分の身に起こったことを悲しんでいるように、男は俯き、深く息を吐いた。
 「そうか……どうにも上手くいかないな」
 「ひょっとして、死のうとしてたのか? 」
 狗凪が問うと、男は口の端を歪めて自嘲気味に笑った。
 「馬鹿馬鹿しいと我ながら思う。しかし結果的に迷惑をかけてしまったな。すまない」
 「俺たちはただアンタを見つけただけだ。この辺りでは見かけない妖怪みたいだが」
 「? 妖怪? いや、俺は、」
 男は言葉を切ると、しばらく沈黙した。何かを考えているようだったが、やがて一人諦めたように立ち上がった。
 「長居する気はないんだ。もちろん闘うつもりも無い。見逃して貰えるとありがたいんだが」
 「それを判断するのは俺じゃない。この里の長だ」
 「そうか」
 半ば判っていたのだろう、男は素直に頷いた。いくら男が一人で、しかもなんの装備もしていないとは言え、むざむざ自由の身にはできなかった。
 「大丈夫だって。俺達の長は見知らぬ妖怪でもちゃんと扱うから。な、狗凪」
 狗凪とは違い、男に対していち早く警戒心を解いた桐寿が笑った。余所者であった自分を受け入れてくれた里に、絶対の信頼を置いている桐寿は、この男に対して同類の気配を感じ取ったらしい。
 狗凪は、警戒心を緩める事無く男に対して頷くだけだった。
 「さぁ、行こう。里はあっちだ」



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 犬猫じゃあるまいし、というのが、玄亥の第一声だった。
 「なんだって手前らは街に降りただけで得体のしれない奴を拾ってくるんだよ! 」
 広く畳の敷かれた客間で、狗凪と閃と桐寿、それに連れて帰った謎の男は、揃って正座させられながら玄亥の前で小さくなっていた。
 玄亥は呆れたようにため息をつき、扇子で自分を扇ぐ。
 「いいか。人間のガキじゃねぇんだ、なんでも見境なく里に持ち込んじゃねぇ。大体、今は非常時だってわかってんのか? 」
 「だって、人間だと思ったし……」
 「人間でなくて申し訳ない」
 男が律儀に頭を下げる。玄亥は腕を組んで男を睨めつけ、
 「そもそも、手前はなんだ? 人間っぽい身なりの癖して人間じゃねぇ。ここら辺の妖怪でもねぇ。先に名乗れ」
 里を守護してきた長らしく、居丈高に言い放つ。
 しかし男は玄亥に怯むこと無く居住まいを正し、まっすぐに前を見つめた。
 「紹介が遅れて申し訳ない。俺の名前はアレックス。本名はもっと長いし複雑だから、アレクとでも呼んでくれ」
 榛色をした瞳を持つ男──アレクは、そう言って少し笑った。
 「長居はしない。というより、いっそ殺してはくれないだろうか。そうすればお互い納得がいくんじゃないか」
 「……なんだと? 」
 玄亥が眉を吊り上げる。アレクの提案に、面食らっているようだ。胡乱な目つきを向けられたアレクは、しかし驚くほど朗らかに言い切った。
 「俺はもう、この世に用はない。やるべきことは全て終わってしまった。何も残っていない。だから、死にたいんだ」
 「随分とはっきり言うじゃねぇか」
 どちらかと言えば嘲りを込めて、玄亥は低く唸るように言った。妖怪としてのプライドが高く、人間から「化け猪」と呼ばれることを至上としていた玄亥にとって、妖かしが抱く希死観念など鼻で笑ってしかるべきものだ。
 だが、男は玄亥を見据えたまま、ゆっくりと頷いた。微笑んではいるものの、その目は決して冗談を言っているようには見えない。
 一同にしばしの沈黙が落ちた。
 玄亥もどう答えたらよいか思案しているようで、扇子を開いたり閉じたりしている。閃とは違うタイプの厄介さだ、という心の声が聞こえるようだ。
 沈黙に耐えかねて、狗凪が口を開いた。
 「よかったら訳を教えてくれないだろうか。アンタがどうなろうと知ったことじゃないが、殺してくれと頼むのなら相応の態度ってものがあるだろう」
 男は軽く目を見開き、困ったように視線を落とす。しばらく迷った後、ふ、と息を吐き出した。
 「何、大した話じゃない。『俺の全てだった人』が死んだ。それだけだ」

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