「ライカンスロープを知っているか」
 アレク以外の四人は、同時に首を横に振る。
 「俺はそのライカンスロープ……つまり狼男なんだ。リヴォニアの出身でね」
 「あぁ、だからアンタは生き残ったのか」
 桐寿が感慨深げに呟いた。隣では閃が、狼男なんてゲームでしかみたことなかったわ、とはしゃいでいる。
 「それで、アンタはどうして死にたいんだ? 」
 「まぁ最後まで聞いてくれ。日本の妖怪にはあまり馴染みがないかもしれないが、俺達は家柄や血筋を重要視するんだ。やれどこの家が偉い、あの家は位が低い者と結婚したから血が混じってる……とか言ってな。馬鹿馬鹿しいだろう? 」
 まったくだ、と狗凪は頷いた。血筋如きで優劣を競うなど、くだらないことで騒ぎ立てる人間と同じじゃないか。
 アレクは苦々しげに笑いながら続けた。
 「その血筋や家柄で言えば、俺の家はとても位が低いんだ。大体、狼男の家系なんて末端の末端、名を連ねているだけ光栄と思わなければならない。そしてそんな家を取りまとめているのが、とある吸血鬼の一族でね」
 吸血鬼。
 いくら世間に疎い狗凪でも聞いたことがある。読んで字の如く、人間の生き血を吸って生きる者だ。噂ではコウモリの翼を持っていたり、人を催眠術で眠らせたりできるとされている。そんな技を持った妖怪などごまんといそうなものだが、吸血鬼は他の妖怪と比べると段違いの知名度を持ち合わせていた。
 ん? と閃が不思議そうに首を傾げた。
 「待てよオッサン。狼男の一族を取りまとめてるのが吸血鬼の一族なのか?」
 アレクがゆっくり頷く。
 「そう。元々ライカンスロープは、吸血鬼の下僕《しもべ》として飼いならされていた。けれど人間の社会に溶けこむようになって、下僕呼ばわりだと都合が悪くなった。そこでライカンスロープの地位を上げたというわけだ。あくまで表向きだけだがね。結局のところ我々は吸血鬼の奴隷だったんだよ」
 そう言ってアレクは肩を竦める。
 人間の社会は差別に敏感だ。本音はどうあれ、表立って差別を口にすれば、ほとんど自分に返ってきてしまう。ましてや特定の家だけを冷遇していれば、人間たちになんと噂されるかわからない。
 自尊心と人間社会との間で悩んだ吸血鬼たちは、下僕である狼男に、ある程度の地位を与えた。もちろん人間の世界でしか通用しない仮初の地位だ。
 だが吸血鬼たちは、自分たちが与えたくらいに狼男達が慢心しないだろうか、と心配するようになった。
 「奴隷たちが裏切らないかどうか不安になった吸血鬼の一族は、ある掟を作った。それは『狼男が人間の歳で十七歳になった時、吸血鬼の一人と専属の契約を交わし、以後行動を共にする』と言うものだ。ちょっとした呪術を使い、永久にその吸血鬼に逆らえなくなる。俺たち狼男の一族は、奴隷扱いされるくらいならと、その契約を受け入れた。拒否をすればまたどんな扱いを受けるかわかったもんじゃないからな……さて、長くなったがここまでが前提だ」
 そう言うと一息ついたアレクは、何故か照れくさそうに髪を掻いた。
 「いや、ここからの話は早い。言ってしまえば俺と契約した吸血鬼が、死んでしまったんだ」
 はぁ、というのが狗凪たち妖怪の感想である。長々とした割にはあっさりと、アレクの話は終わってしまった。
 桐寿が、人間の生徒のように手を挙げた。学校に通っていた頃の癖が抜けきっていないようだ。
 「ちょ、ちょい待って。えっと、そのオッサンを奴隷にしてた吸血鬼が死んだら、オッサンは自由になれるってことじゃないの」
 「その通りだ」
 「……じゃあ、別に死ぬ必要なくね?」
 妖怪にとって、自由とは必要不可欠な要素の一つ、というより存在意義そのものだ。
 狗凪のように、里や玄亥の為に働くという考えを持った妖怪のほうが珍しく、大抵の妖かしは好き勝手気ままに動き回り、場所や時間に縛られない。ただ年若いというだけで玄亥からこき使われている桐寿にとって、アレクの『奴隷では無くなったから死ぬ』という発想が理解できなかった。
 アレクは失笑しながら大きく頷いた。
 「まぁ、そうだな。普通はそうなる。しかし先ほども言ったように、あの人は──アリスは、俺の全てだったんだ」
 「ありす? ひょっとして、アンタの吸血鬼というのは……」
 「あぁ、言ってなかったかな。女性だよ。というか、こちらの国で言うところのじゃじゃ馬でね」
 何かを思い出したのか、照れたようにアレクが笑う。それはどこか少年のような、はにかんだ笑みだった。
 「あらゆるしきたりを嫌っていた人だった。古臭い家柄も、因習に囚われるだけの家族も、彼女にとっては退屈で、吸血鬼という立場すらどうでもいいと言い切ってしまう人だ。吸血鬼の奴隷である俺に、彼女の両親──つまり本家の吸血鬼達が頼みに来たくらいだ。彼女から目を離したら、どうなるかわからない。彼女についてやってくれ、とね」
 家柄など意味をもたない狗凪たちにとって、アレクの話は少々理解しづらかったが、アリスという吸血鬼は破天荒な性格だったらしい。そしてその破天荒ぶりを、アレクはどこかで面白がっているようだった。
 「彼女は家を出たがっていた。だから事あるごとに家出を計画した。俺は何回その計画を阻止したか覚えていない。その度に彼女から罵声と、少々の暴力を振るわれたがね……しかしそれでもアリスは俺に命令なんてしたことがなかった。彼女にとっては、狼男の奴隷を従えること自体、古臭くて面白くないことだったのさ。そしてある日とうとう俺は根負けした」
 この家を出て行こうとアレクが言うと、アリスは飛び上がらんばかりに喜んだ。
 二人は生まれ育った家を捨て、世界中を飛び回った。人外故に人間社会の煩わしさに囚われることもなく、同族に見つかることもなく、ひっそりと、ただ好き勝手に旅をして回った。
 楽しかった、とアレクは呟くように言った。
 「掛け値無しに楽しい旅だった。この日本にだって、彼女が言い出さなければ来ることがなかっただろう。アジアを見て回りたいとアリスが言った時、真っ先に思い浮かんだのがこの島国だった。一年前に港町にたどり着き、滞留場所を探している最中に……あの事件が起こったんだ」
 
 それは、人間社会に溶け込んでいたアリスとアレクにも容赦なく襲いかかった。
 周囲の人間が次々と消えていく。
 旅館の客も、通勤途中のサラリーマンも、子供も、老人も……。
 その中で、アリスとアレクだけが戸惑い、ただ呆然とするより他無かった。二人には頼るべき同族もいなかったのだから。
 「自業自得と言ってしまえばそれまでだが。人間の消失は、彼女──吸血鬼にとっては致命的だったのさ」
 苦り切った顔で俯くアレクは、震える唇を噛み締めた。
 吸血鬼は一ヶ月に一度の割合で、人の血を飲まなくてはならない。夜の街に赴き、酒に酔わせた人間の血を失敬していたのだが、最早それすらままならなくなった。
 血が飲めなくなった吸血鬼の辿る末路は、一つだった。
 「……好きだった人が、少しずつ、少しずつ弱っていくのをただ見ているのは、堪えたよ」
 そう言って、アレクは疲れた笑みを浮かべた。
 「それでお前さんは死にてぇってことか。まぁ……同情はするわな」
 玄亥が扇子で首筋を掻きながら、言葉を選ぶ。実際、なんと声をかけていいかわからずに、狗凪は黙っているより他無かった。
 しかし当の本人であるアレクは、どこかほっとしたような表情で頷いた。
 「よかった。これで俺が敵では無いと理解してもらえたようだ」
 「いやいや、ちょっと待て。なんでそうなる」
 慌てたのは玄亥である。「手前の話をまるっと信じる馬鹿がどこにいるってんだ。よしんば信じたとして、はいじゃあ勝手に死んでくれ、とはいかねぇだろ」
 玄亥の話は最もだった。アレクの話が事実だとしても、里で死んでいい理由は無い。アレクは里にとって、得体のしれない余所者だ。その彼が死ねば、ただでさえ神経質な里の妖かしたちがどんな行動に出るかわからないのだ。
 「オッサンが勝手に死ぬとするじゃん? で、オッサンの死体を見つけた奴は、他所の妖怪が攻めてきたと勘違いする。そうすっと、勝手に戦争になっちまうかもしれねーってこと」
 今まで黙って聞いていた閃が、いとも簡単に説明する。普段の行動からは想像し難いが、この雷獣の頭の良さは人間の社会でも通用するほどだ。閃の説明を聞いて、アレクは漸く自分の立場を理解したらしく、がっくりと肩を落とした。
 「そうか……そうなると、ここでは迷惑になるな。お邪魔した」
 そう言って立ち上がろうとするアレクを、その場にいた全員が慌てて止めた。
 「ちょ、ちょ、ちょっと待った! 」
 まるでコントのように全員から袖を引かれ、アレクは怪訝そうに座り直す。玄亥が髪を掻き毟りながらイライラと舌打ちした。
 「だから、お前は勝手にあっちこっち行けるご身分じゃねぇんだよ! あぁもう面倒だ、おい狗凪、閃、それに桐寿」
 名を呼ばれて、三人がぎくりと竦む。玄亥が名を呼ぶときは、厄介な用事を押し付けられるということを、狗凪は本能的に理解していた。
 嫌な予感に慄く妖かしたちに、玄亥はにやりと笑って告げた。
 「おい。手前らが拾ってきた奴だ、手前らが管理しろ。もちろん、誰の迷惑にもならないように、だ」
 「はぁ? そりゃどういうことだよ」
 「どうもこうもあるか。お前らがきっちり面倒見ろってことだ。妖怪の一人や二人住まわせる場所ぐらいあるが、こういう時期だ、くれぐれも問題の無いようにやれよ」
 玄亥の中ではすでに決定事項らしく、住居の算段まで立てているようだ。狗凪はため息をつきたいのをぐっと堪え、代わりに自分の不運を内心嘆いた。
 意外にも閃と桐寿は乗り気のようだ。「そりゃいいや、なんか面白そうだし」という閃の言葉が、二人の心情を良く表している。
 どちらかと言えば、流れ着いた自殺志願者──アレクのほうが、戸惑っているようだった。
 「いや、その、どうしてこんな話に?」
 「話聞いてなかったのか? そりゃまぁこいつらに世話されるのなんて真っ平かもしれねぇが、俺の里に流れ着いたが運の尽きだと諦めな」
 呵々と笑う玄亥に、アレクは眉根を寄せる。
 「しかし俺は……」
 「くどいね、手前も。さっきから言ってるじゃねぇか。死ぬのも、ここから出て行くのも無しだ。それに余所者風情が、自分の生き死にを勝手にできると思うなよ。ここに来ちまった以上、手前の命は手前だけのもんじゃねぇのさ」
 アレクは俯き、何かを考えているようだった。
 やがて静かに顔を上げたアレクは、注意していなければ聞き取れないほどの小さな声で呟いた。
 「──『それでも、人生は続く』……か。それならば俺は何もすることがない」
 よくわからなかったが、アレクはどうやら観念したようだった。静かに頷いた後、困ったような、それでいて晴れ晴れとした笑顔で狗凪たちを見渡した。
 「それでは、暫くの間こちらに世話になろう。よろしく頼む」

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