ドアを開けると懐かしい背中が見えた。あの頃と何も変わっていない、軍人と見紛うくらいの巨躯だ。
 「ローガン教授、お久しぶりです」
 教授は書類の束から顔を上げて、俺を振り返った。
 「おお……本当に来たか!よく逃げ出さなかったな、ええ?」
 破顔一笑してローガン教授は俺を招き入れる。質素な室内にはカーペットすら敷かれていなかったが、その代わり分厚い革のソファが真ん中に置いてあった。この人らしい家具だ。
 「逃げませんよ。期末試験前に試して酷い目にあいましたし」
 「そうそう。犬に食われたほうがマシだとか喚いていたな、お前は」
 たった一つのソファに座りながら、互いに顔を見合わせてにやりと笑う。教授と俺は大学時代、こんなやりとりばかりしていた気がする。周囲から歳は親子ほど離れているのにまるで兄弟のようだと言われていた。
 ブランデーを慣れない手つきで注ぎながら、教授はさりげなく切り出した。
 「……ところでお前、今まで何をしていたんだ?」
 まるで遠縁の親戚のような台詞に、思わず噴き出す。
 「別に、これと言って何もしていませんよ。戦争に引っ張り出されて、あちこち軍医として渡り歩いて……ちょっと前にようやく腰を落ち着けたんです」
 「あぁ。そうか」
 教授は何か思案する顔でブランデー入りのグラスを見つめた。驚かないところを見ると、ある程度俺の現状を知っていたらしい。沈黙を続ける教授の前で俺は落ち着かない気分になった。何かを言いたいが迷っている、そんな様子だ。話を変える為に俺はわざとらしく部屋を見渡した。
 「教授は随分と変わった役職に就いたみたいですね。戦後処理組織、でしたか。確か名前は──」
 「『アダムス機関』、だ」
 そう言って、教授は静かにグラスを傾けた。

 北部の前線は長引く戦況の中で総崩れとなり、戦争は和解という名の敗北を喫した。敵国の疲弊もあったそうだが、この国に比べればはるかにマシなのだろう。とにかくなんの利益ももたらさなかった戦いは曖昧に終わり、人々は希望も気力も奪われた。
 国を立て直そうという動きがなかったわけではない。だからこそ『アダムス機関』はありとあらゆる専門家を招いて国家の威信を取り戻そうとしたが、その企みがうまくいっているかどうか実感するところまで至っていないというのが実状だ。人的被害が多すぎたのも問題なのだろう。
 ローガン教授が『アダムス機関』に招かれたのも先の経緯があったからだ。でなければ医学界の異端児と呼ばれたこの人が、得体のしれない組織の一員になどなれるはずもない──そこまで考えて、俺は一人苦笑いする。誰よりも集団行動というものが苦手なのだ、この人は。
 そんな俺の様子を知ってか知らずか、ローガン教授の表情は冴えなかった。
 俺は辛抱強く待つ他無い。やがて教授は立ち上がると、机の上にあった封筒を手に取り、俺に渡した。
 「お前、仕事をする気はないか」
 「……仕事? この封筒に何か関係が?」
 そうだ、と教授は重々しく頷く。俺は分厚い封筒の中から書類の束を取り出した。
 『ナトゥール研究所における生体実験被験者の保護について』
 物々しい文章に思わず目が釘付けになる。生体実験? 被験者? 一体何の話をしているんだ。
 書類には簡単なプロフィールが掲載されていた。年齢を見て思わず呻く。
 「子供じゃないですか……!」
 下は4歳、上は9歳まで。様々な能力を持った子供たちが記載された紙を握りしめて、俺は教授に向き直った。
 「どういうことですか、これは。一体何をしようとしていたんです? 今、この子たちは……」
 「無事だよ。ナトゥール研究所は解体済みだ。そしてその子たちは今、安全な場所にいる」
 教授は立ち上がると、大きな窓に歩み寄った。市街が一望できる窓の前で俺をゆっくり振り返る。そして見たこともないような笑顔で言った。
 「なぁ、お前。ちょっとその子たちと一緒に暮らしてみないか」

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