俺はトリス邸へ行くバスに乗っていた。より正確に言うなら、トリス邸に一番近い道を通るバスに、だ。

 車内で短く走り書きしたメモを読み返す。何度も読んでくしゃくしゃになった紙には、今後どうすればいいか簡潔にまとめてあったが、肝心の子供たちに関することは何も書かれていない。ローガン教授が持っていたファイルは極秘扱いで持ち出せず、結局俺は書類の中身を丸暗記しなければならなかった。部外者が読んでもわからないように濁したメモを頼りに、俺はトリス邸へと向かっている。
 通称、灰の館。物々しいあだ名がついているこの館を『アダムス機関』が買い取り、今回の計画に使用することにしたのだとか。それ以外の情報は全て極秘扱いになっていて知りようもなかった。

 どうしてローガン教授からの依頼を受けてしまったのか、俺自身も戸惑っている。よりにもよって俺に声をかけなくてもいいじゃないかと思ってしまうが、教授も困った末の行動だったのだろう。あの人には個人的に恩義を感じている……というのも理由の一つかもしれない。
 この俺が子育て、ねぇ。アルカディア計画自体は数年の予定らしいが、それもどうなるかわからないという。実験対象となった子供たちを社会の目から隠匿し、その間、子供たちに社会性を身に着けさせる。それがアルカディア計画と呼ばれるものらしい。それにしてもどこをどうしたら俺の様な社会不適合者に話が回ってくるのか。
 だが、受けてしまったものは仕方がない。俺はバスを降りて急勾配の続く坂道を上った。
 トリス邸は遠かった。なるほど計画の「社会の目から隠匿」するにはうってつけの場所だ。道は比較的綺麗に舗装されていたが、だからと言って交通量が多いわけではないらしい。
 白樺しらかば小楢こならが生い茂る森の中をさ迷うこと数時間。館の存在が半信半疑になりつつあった俺の目の前に小道が現れ、更に細い道を進むと突然開けた場所に出た。重々しい鉄の門に荒れた庭園があるところを見ると、どうやらここがトリス邸らしい。
 鉄門はあっさり開いた。人の手が入っているらしく、道にはかろうじて掃除の跡が残っている。町まで遠いのが問題だな……などと考えている俺の耳に、ふとか細い声が聞こえてきた。
 「……ねぇ、危ないよ」
 思わず立ちすくむ。当たりを見回しても、あるのは立派な広葉樹ばかり。気のせいかと再び歩き出した俺の視界は、何故か数歩も進まないうちに暗転した。
 「うわぁああ!?」
 わけもわからず顎をしたたかに打つ。ようやく身を起こすと自分が大人の胸ほどの深さがある穴に嵌ったのだとわかった。ご丁寧に枝や葉っぱで隠されていたらしい。
 手の込んだ落とし穴だと妙な感心を覚えていると、頭の上に何かがぱらぱらと落ちてきた。
 「はははは!!ひっかかったひっかかったー!!」
 小粒のどんぐりと楽しそうな笑い声が、俺の頭上に降り注ぐ。その笑い声にかき消されるくらいの小さな声が、呆れた口調で言った。
 「もう、だから止めようって言ったのに……ほらイーニアス、降りておいでよ」
 予想に反して、頭上のいたずらっ子は素直に降りてきた。驚いたことにイーニアスと呼ばれた子だけではなく、木陰からもぞろぞろと子供たちがでてきたのだ。
 穴に落ちている俺の視界は子供たちより低い。12本の足が目の前にずらりと並び、俺は自然と子供たちを見上げる形になった。6人。それに、あの声の主を入れてちょうど7人だ──。

 一様に好奇心と猜疑心を宿した瞳で、俺を見ている。
 これが俺と『子供たち』の最初の出会いだった。

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