「いい加減にしろ! ニーナ!」

 ……あぁ、一字一句思い出せる。ついに俺はやらかした。

 あの子たちと暮らし始めて約一か月。ちょっと気が緩んでいたのかもしれない。朝から忙しくてイライラしていた俺は、この日とうとうニーナを怒鳴りつけてしまった。
 慣れない家事に追われていたとか、時間に余裕がなかったとか、言い訳ならいくらでも出てくる。だが思い出せるのはあの瞬間の空気だ。
 大きな机を囲んでの朝食は、俺が怒鳴った瞬間沈黙した。あれほどうるさかった食卓からすべての音が消え失せて、聞こえるのは暢気な小鳥の囀りばかり。ふざけ合っていたイーニアスもスヴェンも、それを注意していたヘルガも、我関せずと食べていたヴィクトールもマリーも、動きを止めて黙り込んだ。
 ずっとパンで遊びながら自己流の歌を歌っていたニーナは俯いたまま、やはり何も喋らない。
 ぎゅっと真横に結ばれたニーナの唇を見て自分の失敗を悟ったが、くだらないプライドが邪魔をするのか、俺も次の言葉を探しあぐねて押し黙る。結局、誰も一言も発することなく、朝食の時間は過ぎていった。

 後悔はのろのろと後片付けに立った後も続いた。
 完璧な育成者になろうなんて微塵も思っていなかったが、だからと言って自分がこれほど短気な人間だとも思っていなかった。まだ四つの子を怒鳴りつける奴がどこにいる。相手は道理なんてこれっぽっちもわからない子供なんだぞ……。が、脳内の俺は自己弁護に走る。そんなことはないさ、そもそも俺はニーナと出会ってから何百回も「大人しくしろ」「食事くらい静かにしろ」と注意してきたじゃないか? それが一つでも守られたことがあったか? 彼女は俺を無視し続けてきただろう?
 だがニーナはただの子供じゃないんだ! 俺は食器を片付けながら、頭の中に向かって怒る。
 ニーナはまるで神隠しにあったように、忽然と姿を消すのだ。その不思議な能力のおかげで、研究所では実験らしい実験ができなかったと報告されていた。もしも彼女がその気になればここには二度と戻ってこないかもしれない。
 俺は深々とため息をついて、窓の外を眺めた。庭では子供たちが遊んでいるが、ニーナの姿はどこにも見当たらない。もしかして本当に消えてしまったのかと焦りながら庭を見つめていた俺は、ふと自分の足が暖かいことに気が付いた。
 ……ニーナが俺の足に縋り付いている。
 まるで気配がなかったが、神出鬼没な彼女ならどこに現れてもおかしくはない。問題は、彼女が俺の白衣に顔を埋めたまま、ぐずぐずと鼻を鳴らしていることだ。
 「……ニーナ」
 呼びかけても顔を上げることなく、ニーナは何かもごもごと言い続けている。しゃがみこむと、ようやくたどたどしい言葉が聞こえた。
 「……じぇんじぇ、ごめ、なさ……」
 合間あいまにしゃっくりを挟みながら繰り返すニーナを、俺は思わず抱きしめる。
 「いいや、俺のほうこそ悪かった。ごめんな、ニーナ」
 最早泣いているのかただ鼻水を拭いているのかわからない様子だが、まぁそれくらいで許してもらえるなら良しとしよう。
 ニーナはようやく顔を上げて、洋服のポケットをまさぐり始めた。盛大に鼻を啜り上げながらポケットから取り出したそれを俺に差し出して、ニーナは笑顔を見せる。
 「せんせ、これ、あげる!」
 「おお? ありがと……」
 子供の掌にすっぽり収まるくらいの丸い物体は、一見すると皮を剥いた木の実のようだ。仲直りの印だろうかと顔を近づけた瞬間、ソレはもぞもぞと動き始めた……。どうやら季節外れの巨大な芋虫は、ニーナのポケットの中で命の危険を感じて丸まっていたらしい。
 結局、戻ってきたイーニアスに助けてもらうまで、俺は情けない悲鳴を上げ続けることになった。「ぷよぷよしててきもちいいのに……」とニーナは不服そうだったが、俺は虫と仲良くなれそうにない……。

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