俺は廊下の曲がり角に立って、最初にやってくる子を待ち受けていた。どう見ても不審者のそれだが、これにはちょっとした訳がある。ずっと挑戦していたプリン作りが、とうとう成功したからだ。
 プリン……まさか俺がこんな洒落た菓子を作るとは、一人で暮らしていた頃には考えもつかなかった。料理をしていたかどうかも定かじゃない俺が、だ。
 だが手放しで喜べるものでもなかった。失敗が怖かったから、一人前しか作っていないのだ。ここにいる子供たちは全部で七人。「成功したプリンは一人前だけ」なんて伝えたら、奪い合いになるに決まっている。ニコラに持っていくことも考えたが、行き帰りで他の子に見つかる可能性や、ニコラが眠っている可能性もある。
 だから俺は怪しさを自覚しながらも、幸運な子供を一人だけ待っていた。そしてついにやってきた……マリーだ。
 マリーは分厚い図鑑のようなものを抱きかかえて、まっすぐこちらに向かって歩いてくる。が、満面の笑みをたたえて立っている俺に気が付くと、いかにも不審そうに見上げてきた。
 「……先生、変」
 ストレートすぎる言葉と共にその場を立ち去ろうとするマリーを、俺は慌てて呼び止める。
 「ちょ、ちょっと待ってくれマリー。実はお前にだけ頼みたいことがあるんだ」
 そう言って、やや強引に台所のテーブルに連れ出す。訝しげに座ったマリーは、目の前に置かれたプリンを見て目を丸くした。
 「頼む、マリー。他の奴には内緒で、このプリンを食べて感想を言ってくれ……!」
 切実な俺の頼みに、マリーは困惑しながらもスプーンを手にとった。ひと口、ふた口とプリンをすくって食べるが、その表情は晴れない。
 やっぱり失敗だったのか? 外側からは完璧に見えるし、中も穴が開いているようには見えない。だがマリーは何も言わず、淡々とプリンを完食した。
 「……だめ、だったか?」
 恐る恐る聞く俺に、マリーは物思いから醒めたような驚いた顔をしてみせた。「え? いえ、おいしかった」
 「そうか? とてもおいしそうには見えない顔で食べてたが……」
 マリーは空になった皿を、トカゲの瞳でじっと見つめる。
 「おいしかったわ、本当に……でも、知らなきゃよかった」
 「何を?」
 はぁ、とため息をついて、マリーはスプーンで皿をつつく。
 「……私のお父様とお母様もよくプリンを作っては、私に食べさせてたの。二人とも競う合うように作っていたから、プリン作りが好きなんだと思ってた。でも、先生の顔を見て、そうじゃないってわかっちゃったのよ」
 ──二人は私の為に作ってくれていたんだわ。
 そう言ってマリーは席を立つ。俺はなんと言葉をかけていいかわからないまま、その後ろ姿を見送った。
 自分の母親を庇ったが故に拒絶され、自分の父親に連れられて研究所へ行ったマリー。九つの子供が知るには残酷な事実だろう。本当は両親から愛されていました、なんて──。
 いっそ憎んだほうが楽なことが、この世の中にたくさんある。でもきっとマリーはもう、親を憎めない。

 鍋に残ったカラメルを、指で掬って舐めてみた。甘く、そして酷く、ほろ苦かった。

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