さすがに長い冬も終わりに近づいて、トリス邸の周りもにぎやかになってきた。まだまだ雪は残っているが、暖かくなるのは時間の問題だろう。
 冬の間閉ざされていた近隣の道路にも、人通りが戻ってきたらしい。『らしい』というのも、俺宛の手紙が配達されてきてわかったことだ。配達員が道を通れるくらい雪解けが進んでいる。
 問題は、届けられたローガン教授からの手紙だった。あまり良い内容の手紙じゃない……どうやら街には仕事にありつけない帰還兵が溢れ、苛立った雰囲気が満ちているとの事。なんでも、不況の原因が戦争の和解──ほとんど敗北に等しい──にあると焚きつけて回っている組織があるのだとか。巷にはもう一度戦争を始めようとする機運すら漂っているらしく、教授率いる『アダムス機関』も厳戒態勢に入っているようだった。
 冗談じゃない。あんな出来事をもう一度やろうだなんて、どう考えても狂っている……。

 物思いに耽っていた俺は、何かが壊れる音を聞いて、咄嗟に立ち上がった。子供たちの「あー!」という声も聞こえる。
 慌てて居間に飛び込んだ俺が目にしたのは、ばらばらにされたダイニングテーブルと、その前で項垂れているスヴェンの姿だった。
 「スヴェンがねぇー、またこわしたー」と無邪気に報告してくるのはニーナだ。当のスヴェンは顔を強張らせたまま、壊れたテーブルを睨みつけていた。
 ニーナが「また」と言ったように、この館で暮らし始めてからスヴェンは度々物を壊している。わざとではないのだが、彼の強すぎる腕の力は些細なことで暴発してしまうのだ。そもそも五歳の子供には過ぎた力で、制御できるはずもないのだが。
 スヴェンと声をかけるのと、彼が部屋を飛び出したのはほとんど同時だった。あっという間に見えなくなったスヴェンを追おうとするが、どこに行ったのか見当もつかない。焦る俺に、駆け付けたヴィクトールがおずおずと教えてくれた。
 「たぶん……川のところにいると思う」
 川に行くな、特に雪解けの川には──そう口を酸っぱくして教えてきたはずだが、こっそり通っていたのかもしれない。俺はなるべく優しい調子でヴィクトールに礼を言うと、苛立ちを隠して川のほうへ向かった。

 まだ雪の残る道を辿ると、遠くに人影が見えた。スヴェンが小さな体を思い切り振りかぶって、何かを川に投げている。
 「こんなところにいたのか」
 声をかけても、俺のほうを見ようともしない。黙ったまま、スヴェンは小石を拾い上げ、川面に投げた。ぽちゃん、という音を立てて小石が沈む。
 「なんだ、石を投げてるのか? 」……やはりスヴェンは答えない。
 俺も彼に倣って小石を拾い上げ、投げる。子供の頃に覚えた水切りの投げ方で、石は川面を数回跳ねて、川の中ほどでようやく沈んだ。
 「せんせい、すげぇ」
 スヴェンがぽかんとしているのを見て、俺は新しい小石を手に取りながら笑った。
 「簡単だ。ちょっとしたコツがあるんだ……なるべく平たい石を、低い姿勢で投げるだけさ」
 俺が小石を手渡すと、スヴェンは少しためらった後、言われた通りの姿勢で川へと投げる。小石は勢いよく二度跳ねて、大きな波紋を残しながら川面に消えていった。
 「すごいな、あとちょっとで対岸まで着きそうだ」俺がそう言うと、スヴェンは今日初めての笑顔を覗かせたが、すぐに引っ込めた。
 「……せんせい、怒んないの?」それは机を壊したことと、言いつけを破って川に来たことの、二つの意味での問いかけだった。
 「川に来たのはともかく、机を壊したことは怒ってない」
 「……なんで? 」
 「だって壊そうと思ってやってないだろ? 」
 スヴェンはじっと自分の手を眺める。その手が壊してきたものを一つひとつ思い出しているかのようだ。
 「それに、前よりもずっと物を壊す回数が減ってる。成長してるんだよ。さっきみたいに石を投げる時も、コツさえ掴んだらちゃんと跳ねただろ。力はうまく使えば、良い方向に働くんだ」
 そういうと、スヴェンはようやく心の底から安堵したように頷いた。

 力なんてないほうがいい。だけどどうしても使わなければいけない時は、方向をきちんと見定めなければいけない。
 子供のスヴェンにだってできるんだ。俺たち大人だって、そろそろ戦うという選択を止めなきゃだめだ。なぜなら……もうあんな思いは二度と……

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