ニーナがいなくなった。

 ……わかっている。あの子は唐突にいなくなることがあると。それにそもそも、神隠しに合うのは今回が初めてじゃない。今までにも何日か『消えて』しまうことがあった。最初の頃は俺も心臓がキリキリしたもんだが、数日後にはケロッとした顔で帰ってくる。だけど今回の『消失』は長い。一週間も姿をくらませることなんてなかった。

 懸念材料ならまだある。ローガン教授の手紙に添えられていた新聞の切り抜きだ。
 なんでも、不況を理由に政治家を襲う輩が増えているという。本気で戦争を続けるべきだったと主張し、暴動を起こそうとしている組織があるらしい。つい先日も、ベルンハルトという男が外務省の職員を襲ったそうだ……馬鹿げていると思っていたことが現実的になりつつある。
 教授や機関の者は今、身の安全の為に隠れていると言う。だからこの館への手紙もしばらく途絶えると綴ってあった。
 何というか、嫌な雰囲気に満ちている。それでも子供たちが元気なのが救いだ。

 そう言えば、今日はヘルガが変わったことをしていた。
 他の子供たちが妙なことをするのには慣れたが、ヘルガは落ち着いた子だと思っていた。だから大きな窓のカーテンの中にヘルガがいるのを見つけて、俺は思わず首を傾げた。
 「……何やってんだ? 」
 好奇心に負けてそう聞いた俺に、ヘルガは「ひゃっ⁉」と叫んで縮こまる。別に怒っているわけじゃないと説明すると、彼女はかたつむりのようにカーテンの中から頭を出した。
 「あ、あのね……ドレス……」
 小さな声でごにょごにょと言うので分かり辛かったが、どうやらカーテンをドレスに見立てて、ファッションショーのようなことをしていたらしい。なるほど、言われてみればそう見えなくもない。
 白くて分厚いカーテンも、ヘルガが纏えばドレスになる。くるくると楽しそうに回るヘルガに、俺の頬も思わず緩んだ。
 「せんせー、みてみて。ほら! 」
 カーテンの裾がふわ、と浮き上がる。一瞬驚いたが、すぐに静電気だと気が付いた。今更ながら、ヘルガには電気を操る力があったと思い出す。
 はしゃぐヘルガの白いドレスが花嫁衣裳のように見えて、俺は思わず胸が熱くなる。今から相手の男を心配するのもおかしな話だが、もしもそんな日が来たら……ヘルガのことだから、妙な男は連れてこないだろうが……。
 悶々としていた俺は、ようやくヘルガがきょとんとした顔で見つめていることに気づいた。
 「……? せんせー? どうしたの? 」
 『お前の結婚相手をどう殴ろうかと思ってた』なんて言えるはずもなく、慌てて話題を変える為に辺りを見回す。ふと、ヘルガの上着が見当たらないことに気が付いた。
 「そういえば、お前の上着は? お気に入りのやつが無いじゃないか」
 ヘルガはわかりやすくバツの悪い顔をして、再びカーテンに包まる。
 「……ニーナちゃんが、もってった……」
 「持って行ったって、まさか……」
 まさか、あっちの世界にか!? 俺は驚いて絶句した。
 今までおもちゃを無くすことはあっても、ニーナが何かを持って消えるなんてことは無かった。しかしヘルガが嘘をついている様子もない。
 「何か理由があるのか」と問いただそうとしたその時、イーニアスが息を切らせて駆けこんできた。
 「せんせい! ニーナ戻ってきたって! 今ニコラのところで寝てる! 」
 俺とヘルガは一瞬顔を見合わせる。絶妙のタイミングで戻ってくるのがニーナらしいなどと考えながら、俺は部屋を飛び出していた。

 結局、ヘルガの上着は見つからなかった。まるで、最初からどこにも無かったかのように。

Book Top  目次   back   next


inserted by FC2 system