悪いね。俺はその子のことをあまりよく知らないんだ。よく知ってたのは妻のほうだ。
 妻は5年前に死んだ。アンタも悔やみの言葉を言いに来た訳じゃないんだろ? なんでその子のことを調べてるんだ?……ま、俺にはどうでもいいことだが。

 妻は体が弱かったから、仕事なんて止めとけと言ったんだがな。友人たちに誘われたとかでルノーフのお屋敷に手伝いに出ていたんだ。まぁ、ちょっとした小遣い稼ぎ程度だったが。裁縫に庭の草むしり、窓を拭いたり食器を洗ったり……通いの小間使いみたいなもんだ。あの頃の金持ちは、そういう仕事をよくくれた。
 妻は若奥様の娘さんと仲良くなった。アンタの言っていたその子──マリーだったか。
 さっきも言ったように、俺はそのマリーって子をあまりよく知らないんだ。だけど妻はその子のことを、実の娘のように可愛がっていた。俺たちの間には子供がいなかったからな。家に帰ってきて話すのはそのマリーのことばかり。俺は見たこともないルノーフの娘さんが今日一日何をしたのか、延々聞かされながら夕飯を食うのが日課になっていた。妙な話だろ?
 ただ、その子の体はなんていうか、変わっていたらしい。妻も口を濁してあまり言わなかったが、目がおかしいとかなんとか言っていた。皮膚も鱗みたいで、口の悪い奴らは『トカゲ娘』だのなんだの言っていたそうだ。妻は話ながら怒り狂っていた。だがここいらじゃ、昔からああいう子が産まれるんだよ。時々な。

 しばらくして、賊がルノーフのお屋敷に忍び込んだっていう噂が流れてきた。戦争のどさくさに紛れて金品を奪おうとしたらしい。そして部屋を物色しているときに、奥様と鉢合わせした。
 賊はナイフを持っていたそうだ。それで奥様を滅多刺しに──とはならなかった。妻の話じゃ、あのマリーが母親である奥様を守ったらしい。子供がどうやってナイフを持った男に立ち向かえる? 皆そんな話は嘘だと言って取り合わなかったが、妻は神妙な顔で言ったよ。
 あの子の皮膚は、どんな刃物でも傷づけられないくらいに固いんだ……ってね。

 俺がそのマリーを見たのは、噂が流れてから数日後だった。旦那様に連れられて、道を歩いていたんだ。なるほど、変わった目を持っていたよ。だけどその他は普通の女の子だ。可愛らしいドレスを着て、旦那様と手を繋いでいた。
 俺とすれ違う時、マリーが足を止めた。淑女がやるように、こう、ドレスの端をつまんで可愛らしいお辞儀をしたんだ。俺も慌てて帽子をとったよ。金持ちのお嬢さんらしく、凛としてた。だけど、俺がその子を見たのは、それが最初で最後だった。
 なんでも賊の一件以来、奥様がマリーを怖がってどうしようもなかったらしい。どう話し合ったか知らないが、ある日マリーはいなくなって、それきりさ。妻は悲しんで仕事を辞めちまったから、その後ルノーフのお屋敷がどうなったか知らない。
 俺の知ってる話はこれで終わりさ。あまり役には立たなかっただろ? でももし、マリーって子が生きていれば……いや、いい。戦争も終わったんだ。全部、終わっちまったんだよ……。

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