小さな雨が降っていた。

 夜明け前の闇に沈んだ町が黒く濡れそぼっている。街灯の下、古びたアパルトマンの扉を数人の警官が叩いていた。
 しばらくして激しい言い争いの後、周囲がにわかに慌ただしくなる。怒鳴り声と悲鳴は近隣の眠りを妨げ、住民が何事かと建物に集まってきた頃、数人の男たちが警官に連れられて出てきた。手には手錠がかけられている。
 捕まった者たちが一様に背を丸めているのに対して、最後に出てきた男だけは真っすぐに前を見据えていた。警察車両を興味深そうに覗き込む野次馬を睨みつけ、足が不自由なのか、よろめきながら階段を降りていく。
 
 その時不意に、集まった人々の中に覚えのある顔を見つけ、男は動きを止めた。
 夜闇をそのまま映したような暗い双眸が、街灯に照らされてひたと男を見据えている。

 「……お前……」

 男は突然、群衆に飛び掛かかろうと暴れ始めた。慌てた警官が数人がかりで押さえつけたが、男は憤怒の表情で人々に向かって吠え続ける。
 野次馬たちはそんな男を遠巻きに見つめるだけだ。ひそひそと会話を交わす者、暴れる男を指さして首を傾げる者。ただ一人を除いて、人々は早朝の捕り物劇を好奇心に満ちた目で眺めている。

 その時、男──コンラッドが警官を振りほどき、叫んだ。

 「覚えてるぞ、フランク!!お前だな、お前がやったんだな!!」

 お前が通報したんだ、許さないと喚く度に、人々の間から戸惑いのどよめきが起こる。あいつは誰にむかって言っているんだ?という問いに答える者はいなかった。
 フランクと呼ばれた男は、金の長い髪が濡れるのも構わず、ただコンラッドを見つめている。男を見据える目は、その怒りとは対照的に何の感情も映さない。

 警察車両に押し込まれても尚暴れるコンラッドを、フランクは表情の無い顔で見つめていた。やがて車が走り去り、一時の興奮から醒めた人々がぱらぱらと家に帰り始める。その頃には既に、フランクの姿はどこにも無かった。
 
 雨は緩やかな霧雨となって、一層暗く辺りを包んでいる。
 夜明けまでの間、二人の男を置き去りにして、町は今ひとときの眠りに落ちた。

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