気が付くと子供たちが席に座り、ふざけ合いながら朝食を待っていた。慌てて食事を用意し、後片付けや遊びに追われていると、まるで朝の出来事が悪い夢だったように思えてくる。少なくとも、あの時の会話は誰にも聞かれていなかったのだと自分に言い聞かせた。
 子供たちの様子がいつもどおりだったのも、思い込みに拍車をかけた。

 だが庭に出てみれば、くっきりと訪問者たちの痕跡が残っている。雪はまだ降っていなかった。フランクは、その白い雪の上に残されたタイヤの跡を黙って眺め続ける。あの出来事が夢だったのかどうか見定めようとするかのように。

 「先生」
 小さな声にはっとして振り返ると、大樹の奥から聞き慣れた声が繰り返した。
 「先生、大丈夫?」
 「あぁ。なんでそんなこと聞くんだ?」
 「さっきからずっと雪を見ているから」ニコラの声は優しく、しかし何かに怯えているように響く。「もうすぐ陽が落ちるよ」
 驚いて空を見上げると確かに陽が赤みを帯びてきている。知らずしらずのうちに随分と時間が経っていたようだ。
 「そうだな。ありがとう」
 「どういたしまして。先生……あの、朝の人たちは知り合い?」
 口の中に砂が混じったような感覚を覚えて思わず俯く。
 「いいや」
 やっとのことで答えると、二コラは安堵したように微笑んだ。
 「そう。なんだかあの人たち……ううん、なんでもない」
 そのまま会話が途切れ、静かな時間が流れた。やがて空から大粒の雪がはらはらと落ちてくる。見上げると、明るいオレンジ色を滲ませた雪雲が森の上を覆っていた。
 「今夜も降りそうだね」
 そう呟いたニコラの表情は見えなかったが、その声は灰色の空のように憂いを帯びていた。


 陽が完全に落ちて子供たちを寝かしつけると、猛然と焦りの感情が湧きあがってきた。あれは夢だったという自己暗示が消え、朝の記憶が現実を突きつけてくる。静まり返った館の自室でフランクは苛々と歩き回った。
 夢でも白昼夢でもない。アイツらはまた来る。それも近いうちに。
 何か手を打たなくてはと気ばかり急くが、肝心なことは何も思い浮かばない。外ではいつも通りの雪が降り積もり、郵便配達員を遠ざけている。
 数刻前、まだ陽が完全に落ちない内にアルバ夫妻の家に寄った。家はもぬけの殻で、倉庫にいつも使っていたはずのトラックも見当たらない。それが何を意味するのかフランクは努めて考えないようにした。
 この館に電話など備え付けているわけがない。頼みの綱の郵便も雪に阻まれている。ここには車すらないのだ。もちろん徒歩で抜け出すことも現実的ではない。
 それでも何か浮かばないかとフランクは手当たり次第に持ち物を漁る。ローガンからの手紙を何度も読みなおし、情報を探した。得られたのは『ローガンと連絡がつかない』という代り映えの無い結論だけだった。手紙を信じれば世間は戦争継続派と保守派に分かれており、ローガン率いる組織は戦争の継続を願う一派に狙われている。表立って動けば暗殺の可能性すらあると示唆されている手紙を握りしめ、フランクは深いため息をついた。
 助けはこない。
 深まった夜の中に音も無く雪が落ちていく。窓を見ると、夜闇を隔てるガラスに疲れ切った一人の男が見えた。
 フランクは自嘲する。自分が苦しむのは当然だという忘れかけていた思いが湧き上がってくるのを感じる。俺には子供たちの手を取る資格すらない。だが、だからこそ何があっても守らなければならないはずだ──あの子たちは自分の贖罪の道具なんかじゃない。希望だ。
 息を整え机に向かう。いつ届くのかわからないが、今できることは現状を正確にローガンへ伝えることだけだ。頼りない灯りの下で、フランクはペンを走らせ続けた。
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