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 緊張しながら扉の前に立つのはいつ以来のことだろう、とローガンは内心苦笑する。学生時代に面接をした時は柄にもなく緊張していた気がするが、それも遠い昔のことだ。今では組織の一員として面接する立場にあるローガンでも、この時ばかりは掌の汗を意識しないわけにはいかなかった。
 変哲の無いノブを回すと、軋んだ音を立てて扉が開いた。
 室内は無機質で、年季の入ったランプが一つ、天井から吊り下がっている。窓にかかる分厚いカーテンと、テーブルに向かい合わせに置かれた椅子がその部屋にあるもの全てと言えた。
 椅子に座っている人影は、ローガンが入ってきても視線をテーブルに落としたまま微動だにしない。ローガンはなるべく気さくな感じで椅子に座り、男と向き合った。

 「また、ずいぶんと派手にやられたな」

 それは素直な感想だった。男の頭には包帯が巻かれており、頬にもいくつか痣が残っている。切れた唇には渇き切った血がこびりついていて、痛々しく黒ずんでいた。
 声をかけても男は無反応のまま、虚ろな目でテーブルを見つめて顔を上げようともしない。しばらくの後、痺れを切らしてローガンがぐいと身を乗り出した。
 「……なぁ、フランク。俺のことはわかるよな?」
 名を呼ぶと、ほんのわずかだが男の視線が揺らいだ。何かを思い出そうとするかのように触れた視線は、最後にローガンのほうへと向けられた。
 「教授……」
 「覚えていてくれてほっとした。なにせお前が見つかってから今日まで、ろくに会話もできないと聞いていたからな。どんな状態かと思っていたが」
 まぁまぁ元気そうだなと笑うローガンにも、フランクは瞬きひとつ返さない。虚ろな瞳はますます暗さを増していき、再び物思いの底へ沈んでいくかのようだ。
 「どうして俺がここにいるのかわかるな?何があったんだ。とにかく最初から全部話せ」
 ローガンは目の前で指を鳴らし、意識を自分へ向けさせる。一時の沈黙の間、フランクは葛藤しているかのように瞳を彷徨わせた。
 「ニーナが……恐らく、皆を連れて行ったんです……あいつらが、来たから」
 「あぁ。トリス邸に行って、この目で確認してきた。お前の言う通り、子供たちの行方に関して手掛かりは何もなかった。それどころかあちこち荒らされてたが、あれは泥棒でも入ったのか?」
 フランクが被りを振る。
 「あいつらも探したんです。思い詰めた俺が子供たちを手にかけたんじゃないかと疑っていた」ようやくフランクの顔に皮肉めいた苦笑が浮かんだ。「……馬鹿だな、一番先に死ぬべきなのは俺なのに」
 「おいフランク、何を言い出すんだ。こうなったのはお前のせいじゃないだろう」
 しっかりしろ、と語尾を強めるローガンにも冷ややかな笑みを崩さず、フランクはきっぱりと言ってのけた。
 「本当にそう思いますか? 教授、あなたが思うほど俺は良い奴なんかじゃない……あいつの言うことは本当に正しかった。俺みたいな奴が子供たちと一緒にいること自体烏滸がましかったんだ」
 「何を言われたか知らんが、戦争に取り憑かれた奴の戯言なんかに耳を貸すな。あいつらはただの犯罪者集団だ。少し前にこっちの人間も何人か襲われていたから、お前が拉致されたと聞いた時は正直助からないんじゃないかと覚悟した」
 アダムス機関の組織員がトリス邸へと辿り着いた時、既に子供たちとフランクの姿はなかった。組織員は地元の警察と連絡を取り、その過程で隣町の宿泊施設に見慣れない者たちがたむろしているという情報を得たが、駆け付けた時には既にコンラッドたちが逃げおおせた後だった。その後もトリス邸の捜索は続いたが今日まで芳しい成果は上がっていない。
 ローガンは腕を組んだまま深々と息を吐いた。
 「……どうして子供たちはお前を残していったんだ? あんな大きな樹ごと移動できるほど強い力なんだ。お前を連れて行くくらい問題なさそうなものだが」
 「さぁ。ニーナは俺が大人だからと言っていました。でも本当のところは誰にもわからないと思います。とにかくあの子たちが安全に逃げるにはニーナの力を使うしかなかった。そしてたぶんもうこっちの世界には帰ってこないかと」
 「どうしてそう断言できる? こっちにはお前がいるんだ。会いたくなったらひょっこり会いにくるさ」
 フランクが顔を歪めた。泣きそうな表情のまま笑っている。
 「逆なんです。俺がいるから、あの子たちは逃げ出さなきゃいけなかった。国がこんな風になっているのは、俺みたいな奴らがいつまで経っても争いを止めないからだ。俺は……俺は、戦争を続けたかった。続けなきゃいけないと思っていた。だから『また』置き去りにされたんだ」
 ローガンは相手の意図を推し量りかねて黙り込んだ。そして不意に、目の前の男が今までどう過ごしてきたのか知らないことに気が付いた。
 フランク・オルトアは教え子だ。経歴も把握しているし、人当たりが良くて頭も切れる。アルカディア計画が持ち上がった時、真っ先に適任者として浮かんだのがフランクだったが、その直感は間違っていなかったと感じる。
 だが今、目の前にいる男はかつて自分が知っていた男とはかけ離れていた。こんなに暗い目をする奴じゃなかった。
 「なぜそう思うんだ。フランク、お前に何があったんだ?」

 沈黙の末に切り出したローガンに、フランクがゆっくりと顔を上げる。その瞳には見えないものを慈しむ様な光が宿っていた。

 「──俺も、人の親でしたから。実の子にも、あの子たちにも置いて行かれた。ただ、それだけなんです」

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